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ひとつだけでは間に合わない

 昨日、新憲法を制定するなら、冒頭にかかげる理念はなんだろうか、などと考えておりましたが。
 同じことをいうのでも、ナントカの権利、なんぞと大上段に構えるのはどーもいやだな、ただでさえいやらしい人のエゴを増大させる気がする——。

 そこまで考えてふと気になったのは、「和を以って貴しとなす」という言い方と、なんとかの権利の尊重という言い方、そのどちらも同じ理念を語っているのに、「権利」というとイヤラシイ、エゴが増大する、——そう感じるのはなぜか、ということでした。

「権利」は英語では right(s) と申します。rights and duties は権利と義務。the right to know は「知る権利」。

 right は形容詞なら「正しい」という意味になりますよね。
 結局、権利、権利の主張、というのは、「自分が正しい」「自分こそが正しい」「自分だけが正しい」と言わなきゃならない。そういうことになります。

 これはもう、文化というより文明の性質の違いかもねえ——と思いますね。
 
 先日もどこかでおみかけしたけれど、結局、自分が正しい、と各々が思い込み、そのとおりに主張し行動することが、戦争の原因である、というご指摘がありまして。
 そりゃそうだわな、と思いました。

 この「正しいのだから(悪である)誰かを殺しても罪にならない」というくらいの「感覚」は、これも一神教の世界観——”選民”意識と結びついているわけですね。
 一神教の世界観では正しいものはひとつしかない。唯一の正しいものは神様で、ただしい、ということは、神様の保証付、ということになる。

 だから声高に、自分が正しい、自分こそが正しい、あいつらぜんぶ間違ってる、——そういう争いになっていく。

 しかし現実はどうなのかというと、誰が正しいということはなくて、それぞれが、それぞれの利益を追求しているだけのこと。
 そういうレベルで見るなら「みんな同じ」です。正義も悪もない。

 ものを平らに見てみれば、「喧嘩してるけど、結局どっちもどっちなんじゃん」ということになる。
 人類はそれでも少しずつ、そんな見方を手に入れつつあるんですが、まだ充分ではないようです。

 ともあれ。
 私が、権利だ権利だといいあっていると、人間のエゴむきだしになって見苦しい。あんなもん嫌だな、と感じるのは、このへんが理由のようです。

 正しいものはひとつしかない、ってねえ。これ、幼児の認識レベルですよじっさい。
 私は一神教がどれも平等に嫌いで、悪口を言いだしたらとまらないので自粛したいと思いますが、——まあそんなわけですから、そろそろ、一神教文明はやめてもらいたいところですね。

 とはいえ現在の人間社会では、概念をわかりやすく共有しなければならないので、権利という言葉をまったく使わない、ということはできない。それは承知しております。

 でも、個人的にはあんなもん、大々的に恥ずかしげもなくかかげるもんじゃないな、と思っている——そういう次第です。

 唯一の正しいもの、なんてものはない。すべてのひとに同じたったひとつの正義を目指せというのはもう、時代遅れになりつつある。
 それなら、なにを価値観の基本とするのがよろしいか、と考えておりましたが。

 権利という考え方が「たったひとつの正しさ」に基づくのなら。
「すべてのひとにとって”良い”ものであること」を——考え方の基礎に置いたらいい。そう思います。

 ひとは利害関係で対立する。自分は絶対正義であり、正義である自分と対立する相手は「絶対悪」だ——という考えをするのではなく。
 自分にとって、よきものであり。
 相手にとっても、よきものであること。
 誰にとってもよいように、「円満」に。

 ……ああ。円——輪——和になりましたね。

 だれにとってもよいものであるようにというのは、すべてのひとを、たとえば犯罪を犯した人でも甘やかすという意味ではありません。
 償いをきっちりするほうが、そういう場合は本人にとっての「よいもの」ですから、そう甘いものだと思われては困る。

 誰にとっても、よきもの。

 これもじつは新しい考えや概念てわけじゃない。
 昔から、ずいぶん言われてきたことだと思います——「ものの道理」というものは。

 ものの道理、というのを堅苦しくいうなら「公明正大」ってことになるでしょうが、従来のそれに、ひとつ加えたいのは、厳しいけれども「情」というものを「落とさない」こと。
 自分の立場を守るように、誰かの立場を「思いやる」「情」。
 情は情、理は理としながら、それぞれの人の気持ち、立場、利益を守るもの。

 正しいことはひとつだけじゃない。それを広げてつなげて満たしていく。
 
 それが可能だと思うか? といわれれば、まあ、可能なはずです、とお答えするしかありません。
 ただ、それを可能にするには、「権利」にしがみついたエゴを捨てて——従来型の私利私欲というものから離れる必要がある。

 ただ、これは「理念」ですから、そういうものを目指す、ということで。
 やっぱり、権利なんていうより、「和を以って貴しとなす」のほうが、私の好みだなあ、と。
 そんなふうに思います。
 
 
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