先祖返り
 安保法制には反対どころか「50年遅い!」とここまでの経緯にむしろ文句を垂れ、憲法改正どころか、天皇陛下のこともあるので占領者が作っていった憲法なぞ論外なんだからさっさと(とはいってもこれも60年超)新しいのを作れ、といっている都合上。

 無責任に言いっぱなしもよくないだろう、ということで。
 自分なりに、憲法の理念を考えてみました。

 憲法というのはかんたんにいえば「その国のおおまかな方針・理念」を記したもの。
 金科玉条、神聖にして絶対不可侵なもの、というものでは金輪際ございません。
 まあ、そうやたら変えられるものではない——国の運営の基本方針ですから——のは確かですが。

 ということで、現在、あまりにも中途半端になっている天皇陛下の地位を明確に定めることから考えたりしますが。

 それ以外に、日本という国を、もっとも日本足らしめる「理念」は、まず定める必要があるなと思いまして。

 現在の憲法で大きかったのは「主権在民」であり、基本的人権の尊重でした。その当時はともあれ、女性の政治参加というところが、それらの具体的な実現として描かれたわけですが。
 いまは——それにくわえて障碍者、なんらかのハンディキャップがあるひと/場合、さらには性的少数派——LGBTといった人々を、きっちり市民として遇すること、というのも、加わってきていますね。

 こういった理念をずばり憲法のアタマに掲げるとしたら、どんなものがあるかな——と考えてみたのですが。

 脳裏にひらめいたのは、
「和をもって貴しとなす」
 でした。

 ………憲法も憲法、その祖の祖たる、十七条憲法(じゅうしちじょうのいつくしきのり)が出てきたかー……と、なんとなく感心(笑)

 余談ですが、十七条を、じゅうしちじょう、と読むのは現代数詞で、たぶんこれは純粋なやまとことばではなく、漢字漢語の輸入とともに誕生したとみられるそうです。
 ということで、やまとことばでいうなら、十七は、「とおあまりなな」と読むことになりますね。
 十七条憲法は、「いつくしきのり とおあまり なな をち」と書き下すようです。

 個人的にはやまとことばの、このほんわりゆったりほけほけした感じが好きなんですが、自分自身は漢語主体の文章を書いている…というあたりに、なんとなく、焦れてくるものがあります。(^^;)

 閑話休題。

 ともあれ、権利だ、といって大上段に構えるのはどーもイヤラシイ。目指すところは同じものであってもどうもあの、権利がどうしたこうしたという話は、ただでさえイヤラシイ人間のエゴを増大させる機能しかないように思える。

 同じようなものを理念としながら、もーちょっと穏やかで、ひとの心をやわらかくするもの……そういうもののほうが「日本という国を表現する」「日本らしい」んじゃないかなと考えて。

 結局、聖徳太子に戻るのか、と思ったら、なんだか可笑しくなりました。
 先祖返り——というか。
 でも、ありがたいことにご先祖様は、二千年ばかりたってもゆるがない「くに」としてのありかたを、すでに示していたのだ、と思えば、心強い。

 ——和を以って貴しとなす。

 時代が変わり、価値観が変わり、いままで日陰に身を隠していたひとにも堂堂と歩いてほしいというものを表すとき、基本的人権の尊重なぞというよりも、はっきりしているように思います。
 時代を問わない、いつでも誰でもなんでも受け入れちゃう理念。
 いーじゃないすか。
 と、ひとりでうんうん頷いていたりして。(^^;)
 左巻きには発狂されそうですが(笑)

 ちなみに。
 聖徳太子にしろこの憲法にしろ、実在しなかったとか偽作とかいうひともあるそうですが、そんなことは学者先生たちにおまかせしますよ。
 誰が書いたにしろ、いいことを言ってますよ、十七条。もしなんでしたらあとで調べて追記しますけど。

 仏教を国教扱いするとかはまあ、いまとなっては外すしかないものもありますが、「人はいかに生きるか」は、そのまままるごと使えます。
 誰が書いたにしろ、いいもんだなと思いますねあたしゃ。

 そんなわけで。
 新しく憲法を作るときには、この理念はぜひ、その冒頭にかかげてもらいたい。
 そう思ってます。
 
  
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