ゴースティング新旧
2016年08月15日 (月) | 編集 |
 送ったLINEのメッセージ、既読になっているのに返信がない、または、未読スルーされている。忙しいのかもと好意的に解釈しようとしたらInstagramには楽しそうに盛り上がってる写真が…。
 怒りと悲しみと疑いの地獄に突き落とされる——これも、昔なら知らずに済んでいたことがわかってしまうようになった、現代ならではの「不幸」。

 ………というような話をちょいちょい聞くようになりました。
 とにかく卓球のような返信合戦を求められた結果の「LINE疲れ」、あれこれ気を使ったり「演出」を考えたりでやがてたどり着く「 SNS疲れ」、いろいろあるようです。

 LINEの卓球合戦については「もうそんなんならふつーに電話したら?」などと口走ってしまいましたが、……そういう問題でもないわけですよね?(^^;)

 ものがなんであれ、道具は道具なんだし、自分に無理のないように使えばいいんじゃないでしょうか、と思っていたところへ、昨夜、プロモーション・ツイートとして出てきたのはクーリエ・ジャポンの記事。
 その見出しにあった言葉をみて、うーん、と唸ってしまいまして。

「私はブロックされてはじめて、フラれたことに気付きました」 大事な人がいきなり音信不通になる「ゴースティング」が世界の若者を苦しめている
クーリエ・ジャポン 会員向け記事(1部)
http://courrier.jp/translation/59435/

 ゴースティング。
 Ghosting 、ゴーストは幽霊ですね。それが分詞になってゴースティング——まるで幽霊のように跡形もなく消えてしまうこと。

 友人や恋人。そういう、親しい関係にあったはずなのに、ある日、なんの前触れもないまま幽霊のように消えてしまって音信不通になる——そういうことだそうです。

 うえの記事は有料会員向けで途中までですが、探したら類似の記事はいくつかありまして。
 そのうちの、わりとまとまっていた記事がこちら。

「特に意味ない」1番タチが悪い。新・お別れ強行手段"ゴースティング"の心理とは‥
いい人だけれど、時折見せる冷たい態度のあの人は…。"自己完結型"に多いといわれている別れの手段"ゴースティング"とは・・・?

2015年09月22日 更新 by-S
http://by-s.me/article/193631904322567777

 クーリエ・ジャポンの記事では、友人同士のケースも扱っていますがこちらは恋愛にしぼっていますね。でもまあ趣旨は同じ。

 別れにもいろいろあるでしょうが「自然消滅」はそりゃもう大昔からあったし、それ自体は珍しいことじゃない。
 ただ、自然消滅するにしろ、これまでのコミュニケーションでは、なにかしら、喧嘩が増えたとか、そうではないが冷たい雰囲気になってきたとか、なんとなくギクシャクした、それこそ「空気」ってものがあったはずですが。

 このゴースティングの場合はそういうものはいっさいない。
 であるにもかかわらず、まるでゲームの途中で電源が落ちたときのようにすべてのことが遮断される。
 これはキツイですね;;

 愛の反対は憎しみではなく無関心(無視)だ、というのもすでに言われておりますが。
 無視されることほど、傷つくことはありません。

 しかも、ついさっきまでにっこり笑っていた相手にそれをやられるわけですから、これはもう——人間不信になるしかないだろうなというところですね;

 自然消滅は昔からあった。けれども、デジタルの世界を介しておこるそれは、これまでよりも、より、白と黒、1と0(ゼロ)の、「どちらかしかない」状態になるようです。
 
 私はあまり、ネットのつながりとかバーチャルのなんとか、そういったもの自体を信用する気がない。
 人間が古い、といわれそうですが、そうではない、と、これは確信を持って言えますね。
 どうも人間てものを甘く考える人がいるんだよねえ。

 心というものは、恐竜がいた時代からたいして変化はしてませんよ。その仕組みについてはね。

 亀の甲より年の功ってやつで、私もだいぶ——おそらくそのデジタル派の人々が「面倒」というものこそが、人間にとっては大事なものだ、ということを「わかって」おります。
 これは人生経験なのか時間そのものがもたらす「存在の重さ」なのか。

 ともあれ、人間は0か1かの(デジタルの)存在ではないとだけは、いえますね。
 
 デジタルのものは便利ではあるので、道具は道具として使えばよろしい。一部の人たちのように「悪魔の機械」だなどという扱いをする必要はもちろん、ない。

 でも、道具は道具である以上、万能のものではない。
 だから、妄信も迷信もしない。——それが私の考えるところです。

 興味深いのは本文中の分析。
 昔から、自然消滅へ持ち込んで行って別れるというやりかたは軽蔑の的ではありました。たぶん、いろいろ自己弁護をするにせよ、それを実行する人自身にも、なんらかの良心の呵責なり、周囲の人間関係からの「罰則」なりがありました。

 けれども、0か1かの世界ではそれもない——ということに。

 こういうことをする人は、デジタル機器があろうがなかろうが同じことでしょうが、そのことがもたらす「傷」もまた、白と黒とでくっきりわかるようになった——ようです。

 そういうことをして良心の呵責がない、というコメントも本文中にありますが、それが事実なら、その人はもとから、サイコパスまたはデミサイコパスと思われます。
 そういう人種にこういう便利な機械を与えてはいかんのだな、と——まさに、「キチガイに刃物」ってやつで——、うーん。と唸ってしまったんでした。

 サイコパスではないタイプとしては「マイナスなことを報告するのが苦手」——つまりは「いい人」である自分を崩せないタイプ。
 自己完結をして相手を決めつけるタイプ。
 という解説には、あー。なるほどねー。と

 どちらにしてもそれは、太古からある人の姿。それ自体は何も変わらない。
 ただ、使う道具の特徴が反映されて、その人の姿がより、くっきり2色どちらかできわだち、昔よりも「目立つ」ことになるんだな、と、思いました。

 ネットの中にいる自分は、霧の中の幽霊みたいなもの——だと、私もかねてから考えていたので。
 このゴースティングという言葉には、正直言って、ちょっとドキッとしました。(^^;)

 つきあいの浅い人に幽霊あつかいされるのは、まあ、しょーがないかと思えても、親しい人にとってはちゃんとした人間でありたい、ひとりの人間として尊重した扱いをしてほしい。そう望むのが、人の気持ちです。
 であるにもかかわらず、本来なら、もっとも尊重してほしい相手から、ユーレイ扱いされる。
 これは、キツイ。
 そう思います。

 新しい事態に直面すれば、時間はかかってもまあなんとか、対応してきた人類は——、このやりきれないキツさもまた、克服できるような方法を、見つけられるでしょうか。
 
 そうであってほしいと願います。
 でもその日がくるまで、どれほどの人が、文字通り心臓を破られる思いをするのだろうか……と考えますと……。
 さすがに……ねえ。(^^;)
 
   
関連記事