毒虫の自覚
2016年07月16日 (土) | 編集 |
 昨日は金曜日夕方から久しぶりにおでかけ。
 今回は着物を着て外出いたしまして——まあ、法事で喪服を着たのを別にすればずいぶんひさしぶり。
 昨年の自分の誕生日にちょこっと着て以来でした。正月でさえ着る気にならなかったものなー……。

 ようやく、きものを着て出かけようかなという「気力」が、戻ってきたようです。……て、何年たってるのかなあ。2009 年まではそれであちこち出歩いていて——その後は父の病気のことや、そのあとのこと、もろもろあって…と数えてみると7年ほどにもなるんですね。
 夏のきものは薄物で軽いですから、「きものリハビリ」にはちょうどよかったです。(๑`・ᴗ・´๑)

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 ツイッターのプロフィールページを拝見に参りますと、自己紹介的なものがありますね。
(まったく書かない方もいらっしゃいます。そのへんは自由)

 かたじけなくもフォローをいただいたときにはちょっと拝見に行くこともありますし、回ってきたツイートで名前のところにカーソルがいくと表示されたりしますね。

 で、ときどき、自己紹介として、「毒を吐きます」というのはちょいちょい見かける文言でした。
 以前にはけっこうお見かけしましたが、現在は、以前よりも少なくなっているように思います。

 毒かあ。……たぶんこの毒って、「毒舌」の毒のことかな、と思いつつ、いつもその言い方に出会うと、なんとなく、ざらっとした手触りを感じてきました。
 とはいえ、さほど気にすることでもない。(^^;)
 ときどき毒を吐きますとあるからって、フォローを外すとか、ブロックするとかはない。
 そうですかあ、毒ですか、といって、通常対応するだけ。

 で、「毒を吐く」というのを文字通りに解釈すると、自然界においては、毒虫、毒草、毒蛇、毒を持つ動物たちは、いずれもひじょーに美しい(または目立つ)外観であることが多い。
 人もまた、本当に「毒を吐く」と表現するのなら、それは美しい人だけに許されるべきもの——というご意見をみて、ちょっと面白いなと思いまして。

 ときどき毒を吐きます——と、わざわざ、聞かれてもいないのにプロフィールに書いてあると、私の脳裏には一瞬、「謙虚な人」という印象も差します。
 自分で自分の口の悪さ、言葉の悪さ、ひいては精神状態の荒むこと、それゆえに他人を不快にすること——を、自覚しているからこそこういう言葉になるわけで。

 そのことにたいして、なにかしら、自分でも思うことがある——自分への嫌悪か、ひとさまへの申し訳なさか。そんなあたり。
 でも、それを制御できないと思うのか、制御するつもりだけど、ダメなときもあるのか、むしろその毒をアイデンティティにしているのか、なんにしても、少々の居直りもある。

 ひとさまに、悪いなあと思うのなら「ごめんなさいね」という言葉になるはずだがそれもない、ということは、謝る気はないか、謝ってもダメだよねというあきらめか、——そういうことじゃないかなと、私は解釈しておりました。(ほぼ無意識に)

 だから、いちいち「毒を吐きます」といいっぱなしで、べつに謝るわけでも「ご寛恕のほどを」ってんでもなく書いている人って、基本的には「いいひと」だという解釈。

 ほんっっっっとーにイヤな奴ってのはですね。そのへん本気で無自覚ですからね。自分の身内にそういうイヤな奴がいる私がいうんですから間違いないです。ここは断言しちゃいます。
 ま、じっさいは本当に無自覚でもないんですが、自覚しちゃうといろいろ不都合があるので、自分で気づかない「ように」しているところもある。
 だから図星を指してやるとすんごい勢いでこちらが攻撃されるわけです。

 自覚がある、だから注意書きを出しておく、という態度は、100点満点ではないのは確かですが、でも、謙虚だし「いいひと」だと、私は思いますよ。

 サイコパスは、自分は毒を吐きますなんていいませんからね。

 辞書を見ますと、「毒」の意味の中に「人の心を傷つけるもの。悪意。「―を含んだ言葉」」というのがありますが。
 ひとの心を傷つけるものって、悪意がなくてもそうなっちゃうこともある。

 だからって「精神的苦痛」だの、「私は傷つけられた」だのつってすーぐにギャーギャー騒ぐ態度も美しくないので私は感心しませんが、でも、ときに、そんなつもりはまったくなくても、ひとを傷つけることを言っていた、ということはあるもの。

 自分がそうやってひとを傷つけているかもしれない、そういうこともあるんだろう、と思い、「猛犬注意」みたいな看板を出しておくひとは、私は、謙虚さがあるんだと思っております。

 でも、悪意なくても誰を傷つけているかわからない。それも確かなことですから——「そういうこともある」と、相互に、おたがいさま、ってことで、譲り合えるようにできるのが、本当はいちばんいいかなと思います。

 毒を吐いてひとを傷つけているのでは、と恐れるのなら、もし誰かが、悪意もなく傷つけるようなことを言ってきたとき——「そういうこともある」と、怒らず、「傷つかず」、許すことはできなくても、そっと「受け流す」ようにしていけば、いいんじゃないでしょうか。

 なにかを怒るかわりに、受け流す、ということを心がけるだけでも、「毒を吐く」機会も減っていくように思います。
 
 
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