声なき声
 そんなわけで昨日は、イギリスの国民投票の結果、EUから離脱ということになり、各金融市場は大混乱の阿鼻叫喚といったありさまでした。
「まあちょっと落ち着け」
 と言いたくなるような反応っぷりでしたねえ。(^^;)
 まだじっさいどうなるのかはぜんっぜんわからないっつーのに。

 私から見るとどうもあの——株式相場にかかわっている人々って落ち着きがないというのか、すぐに過剰反応するので「小心者」というイメージです。しかも、大勢さんでいっせいに同じ方向へ走りだすのが、節操ないねえという印象。

 などというと、投資をやっている人からは悪し様に罵られる、ということは承知しております——このうえなく見下されるということも。(^^;)
 まあ、相場に関係していればそうならざるを得ないという「理屈」はうかがっております。その世界の中では当たり前のことであり常識であり不可避のことでもある。
 ぼーっとしたまま「資産運用」をせずに「損をしている」「馬鹿」な私などは、あちらさまからすればオマエこそが愚かなのだということになる。
 それはそれで、承知しております。

 それでも——、「なんかちがう」という感覚を引っ込めるつもりもなくて、「たいへんですね」といって眺めている。 
 昨日もそんな感じでした。

 それはともあれ。
 いろいろお話も聞いておりますが、結局、経済条件、政策がどうたらよりも、移民問題がいちばん大きな要素となって「離脱」が選択されたように思います。

 キャメロン首相がお辞めになるのも今回は仕方のないところ——離脱とあっては政策方針がまるっきり違うのだし、「離脱の手続き含めてあとのことは、後任の『ふさわしい』人に」というのは、当然でしょうね。
 そんなにいうならお前がやれ、と。
 私ならそう言っちゃう場面だもんなこれ。と思いました。(^^;)

 私はもとから移民政策には懐疑的であり、途中からははっきり反対の立場となりました。
 人の移動そのものには反対しません。
 でも、移民には反対。

 人間にも「根」があるということを、なぜ、そうも簡単に無視するんだろうというのが、私の疑問です。
 根を持たない人間は根無し草になってしまう。根を持たないというのは単にアイデンティティーというだけの問題じゃない。たぶん多くの人はそれを理解していない。

 コスモポリタンというものは存在しない幻想だ——というのは、いわゆる「国際化」された場所へ放り出された時に思ったことでした。
 多国籍の方々とごいっしょするなかでは、コスモポリタン——「世界市民」「国際人」はいないと感じました。私について言うなら、そういう場に置かれたとき求められたのは「日本人であること」でした。

 複数の価値観や文化を飲み込むという意味でなら世界主義はわかる。けれども、それはイデオロギーなんであって、個人の「精神文化」や「信仰」のなかには落とし込めない。
 世界主義の色が濃くなればなるほど、その場に「適応」するには「自分が何者かという核」が必要になる。

 その核がしっかりしていないと、多種多様なもののなかで自分が埋没してわけわかんなくなる。わけわかんなくなって混乱した人間には、あの場に「適応」することは不可能。
 世界主義というのは、「適応した姿」のことにすぎない——と思いました。
 しっかりした根、核があってこそ、他人の持っている根や核を理解し、尊重する、その重要性がわかる。
 根、核を持たない(自覚できない)人は、他人にとってもその核がどれほど大事か、感覚的に理解できない。

 移民は。
 その「根」をいちど断ち切ること。
 不可能だとはいわないけど、誰にでもできることではないと思います。——本来は。

 今回、離脱派に目立つのは、移民政策への強い反発、反対。
 おおっぴらには言えないことが多いようで、あまり耳にすることはなかったと思いますが、「声なき声」がたしかにあった——ということなんでしょうねこの結果からすれば。

 差別というのなら、そりゃ差別はよろしくない。
 でも、移民を受け入れる側に差別は良くないというのなら、移民自身にも、「受け入れてもらう」という姿勢は必要なはず。そう思います。 
 受け入れる側に心構えがあるように、新たに入っていく側にも、そこにあるものへの敬意、自分が変容しながら適応するという心構えは必要でしょう。
 
 どうもこれまでは、受け入れ側のことばかりとやかく言っていて、入っていく側に必要なことについては、あまり語られてこなかったんじゃないでしょうかね。
 先住文化を無視して、いきなり他人の土地へ乗り込んで「自分のものとして取った」気でいるのだとしたら、これはこれで差別の精神といえるでしょう。

 そうして根を絶たれた人々は——もとの根には戻れず、といって、新たな土地は、もともとの土地とは環境も条件も違うので根をおろすのは容易なことではない(園芸をやってる人、植物を育てて手入れする人になら、わかってもらえると思います)。
 うまく根付くことができず、なかには根腐れしてしまうこともあるでしょう。

 今回、離脱派が勝利したのは経済面から考えれば「意外」でしたが、移民はひとの自然に逆らうことだという見方からすれば、——じゅうぶん、ありえる結果でした。

 こういう時代ですから、国境も飛び越えて人が移動していく、労働市場では国境は無意味になっていく、そのこと自体には私も反対なわけでないし、むしろその流れは加速こそすれ減速・後退することはないでしょうし、そのこと自体は不自然とも思いません。
 が。
「出張」と移民はまるで問題が違う——、そのことを、今回の結果は示したように思います。

 今回、残留派としては、可能であればこの移民問題についての、その声にはならない大きな不満の声に応えるべきだったんじゃないでしょうか。
 その不満を解消できるものを示せば、結果は違ったんじゃないかな。
 それができたら苦労はない——という、嘆き節が聞こえそうではありますが。(^^;)

 私としては今回のことはそれとしても、そろそろ、移民政策のきれいごとからヨーロッパは「卒業」すべきじゃないのかな、と思って見ていた昨日でした。
 
 
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