なつかしの時事放談
2016年06月05日 (日) | 編集 |
 私事で恐縮ですが、うちの猫のトラコ、昨夜遅くに永眠いたしました。

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 もとが野良猫でうちに上がり込んできてからも野良の習性がとりきれず、気がついたら写真、こんなのしかないよーもー;; 理由は知りませんがカメラ、大嫌いだったんだよね;;

 享年は不明ですが、15歳にはなっていたはず。
 若い頃は縄張りを持っていたくらいの、すんごい強いメス猫でした。
 7、8年前に額に腫瘍ができたのを保護し、以後、すっかり家猫みたいな顔でウチで過ごしておりましたが……この3日の間、急激に衰え、ごはんも食べなくなった、と思ったら、昨夜。

 ご長寿だったうえ、文字通りの「ピンピンコロリ」ってやつでした。あやかりたいくらいです。
 今日は、お寺へ行ってきます。
 午後には雨も上がるようです。

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 世にはけっこう、討論番組ってありますよね。
 私はそういうのをほぼ見ません。
 理由は、こちらのツイートにあるとおりで、「なんの意味もない」から。

 大の大人が声を張り上げて、わあわあガアガア騒いでいるだけ。
 しかもだんだん感情的になってしまって、ただの罵倒合戦、揚げ足取り合戦に終始する。

 勝者はいない。自分が勝者だと思っている人はいるかもしれないけど、見ている第3者からしたら「あいつら全員、お下劣」でしかない。

 公共の電波使ってなにやってんの? 壮大な無駄じゃないの? というのが、私の思うところです。

 選挙前の政見放送は見ます。
 それに対する私の考えや賛否はともあれ、「相手の言い分は聞く」ことには、意味を見出すことはできますから。
 相手の言い分を額面通りに受け取るかといったらもちろんそれはないですが、でも、他人を罵倒することに夢中になり、「つまりあなたの主張はなんですか」ということさえ放り出している番組よりはいいでしょう。(^^;)

 ツイッターではこれはとくに強く感じること。
 気に入らないことがあったらそのまま、無視して通過するのが正しい態度、だと思ってます。

 あるご意見を見て、自分なりに、自分はこう思うな、というものがあるなら、それだけをぼそっとツイートしていればいい。
 ここで返信にしたり、@ツイートで巻き込んだり、引用RTによって「さらす」ことは、しないでいい。

 たまに本当に引用しないと話が通じないこともあるにはありますが、それはかなり、珍しい、入り組んだ話でしょうし。
 入り組んだ話にはツイートは向いてない。
 それならもう、ブログでひとつ、テーマに沿ってエントリーを投稿する方が、「わかりやすい」ですよね。

 討論て、あれじっさい誰が何のためにどんな目的で始めたの? というのはつねづね思っていることで、つい、このツイートには「そう! そうなんですよね!」と、同意を込めて引用RTしてしまいました。(^^;)

 討論というのとは違うけれど、むかーしの、やはり日曜早朝に放送していた「時事放談」はけっこう好きで見てたなあ。当時は子供でしたけど、面白かったですよ。
 細川隆元さんと、藤原弘達さんのコンビ(?)が、いちばん楽しい組み合わせでした。

 べつにおふたりでつねに仲良く意見があっていたってことはない。
 けっこうご意見は異なることはあったと思います。双方が、自分なりの見識、というものを強固に持っているもの同士でしたから。

 でも、罵倒合戦にはなりませんでしたよね。
 そう、それがあなたの意見なのね、あなたはそう思うのね、でも僕は違うの……という感じで話していらした。そんな印象があります。

 もっとも、子供の頃と、いまの私とではまた、見方もとうぜん違うでしょうから、じっさいいま見返すと違う印象になるかもしれませんね。

 でも、あの方々はちゃんと、相手の考えを聞き、自分の考えを述べる、ということをしていたと思う。
 討論という名目でありながら、けっきょく罵倒合戦になるのは、「相手の話を、ともあれ、聞く」っていうことが欠如しているからかな。

 プライドが高いと他人から評される人はじっさいは、ただコンプレックスが強いだけで、だから、他人からちょっと突かれると逆上する。そのように私の目には見えております。

 本来の討論は罵倒合戦ではないはず。
 本来の意味だとしてもそんなところに真実なんぞありゃしないと私は思いますが、しかし、ともあれ、討論という言葉の意味をかえてしまうような、罵倒合戦は、そろそろ卒業していただきたいなと。
 そう思います。
 
 
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