Dragons' Souls
2016年06月02日 (木) | 編集 |
「スーザン・ソンタグの『ローリングストーン』インタヴュー」


 数日前に読了。
 スーザン・ソンタグさん(1933 - 2004)はアメリカを代表する作家、批評家。
 とはいえ、私が知ったのは今回が初めてで、その没後10年になってからやっと、ってことになりますね;;

 誰かのことを頭がいい、と評するにしても、じっさい「頭のよさ」には何種類かありますが、そういうなかでも、こういうタイプの、頭がいい人って好きだなーと思いました。

 ものの見方がフラット。平板と退屈ってことではなくて、「見通しがいい」考え方ができるひと。
 可能な限り障害物をとっぱらってしまって、見通しをよくした場所から、まっすぐものを見る。
 それでいて、「偏見にならない主観はない」ことも、よくご存知。

 こういうすかっとした感じ。好きです。

 まずは彼女を世の中へ押し出したのは、ベトナム戦争のときの、彼女の広めた評論——本文中には登場しませんがたぶん、ベトナム戦争には、少なくとも賛成でもなければ賛美でもないものを発表したこと、だったようです。
 といって「君死に給ふことなかれ」系の、ウェットな作品を発表したわけでもないようですけども。

 この人もまた、「知の情熱」の人だったんだな、と思います。
 インタヴューではいろんなことが語られて、どのテーマも興味深くて面白いのですが、いちいち取り上げていたらきりがないので。(^^;)
 ただ、ソンタグさんの印象を語ると、そんなところになります。

 私が、頭、いいなあ、と思う人たちは、ただ知能指数が高いだけではなくて、「精神性」が関わっているようです。
 精神性の高さというのは、知能が高い低いとはまたべつ。

 ものの見方がフラットだ、というのの、その平明さは、高い知能がもたらすのではなく(無関係とはいいませんが)、その人の目指すもの、好むもの、なにを良しとするのか、なにを美しいものと見るのか、そういうところから発生するようです。

 美しいものを好み、ものの本質を「知る」ことを求める。
 知への情熱。

 読んでいて「すかっとする」平明さは、たぶん、ほとんどのものに自分を預けていないから、でしょうね。
 自分なりの価値観なり主義主張なりはしっかりあるけれど、そこに「しがみついて」はいない。

 私が、あーもーメンドクセエ、といって嫌がるのは、なにかの「所属」にこだわってそこから動けない人。
 国籍、人種、民族、「血族」、信仰、イデオロギー、ある団体、派閥、あるいは土地、あるいはお金、……なにかしらの「所属」が、人にはあるものです。
 そのこと自体は否定しません。コスモポリタンを「幻想」と切って捨て、そんなもんがもしあるならそれはただの根無し草だと断じるくらいですから、所属を持つことはむしろ自然と考えます。

 ふだんは威勢のいいことをいっていても、その「所属」に関わることとなると急に、おとなしくなったり、ふだんいっていることとは大いに矛盾したり、決まり悪くなって黙り込んだり、逆に異常に「弁護」したりするのが、ふつーの人間です。

 でも、たまに——そういう「所属」は持ちながら、必要とあればその「所属」からさえ、あっさり手を離してしまえる人がいる。

 客観性、と、ことばにすればそれだけのことですが。
 これをほんとうに実現できる「精神」の人って、あまり多くはない。
 じっさいこれをやってしまう人は、強い孤独を味わうことになる。
 自分の所属から離れるということは、「味方」を持たない場所に、ひとりで立つ、ということですから。

 でも、この世にあるもので、真実「これが絶対」なんてものはない。
 なにかを絶対だと思い込んで、しがみついて、かたくなになってしまったら、「ものの本質」なんぞ、見えるものじゃない。

 大抵の人は、そんなものを必要とはしないんですよね。——なにが本質かなにが「本物」か、なにが真実かなんて。
 自分の生活なり、自分の立場なり、そういうものが守られればそれでいい。
 むしろ、ものごとの本質をみることは、たいていの人にとっては「怖い」はずです。
 なにせ、自分がたいそう心もとない、頼りにならない柱にしがみついているだけだとわかってしまうかもしれない。
 そんなことは知りたくないし、みたくないし、ただ自分を守っていられればそれでいい。

 でもたまにこうやって——、自分自身をさえ必要があるなら打ち壊して、ものの本質を知ろうとする人がいる。

 知りたい、という欲望。その情熱。
 知りたいというその思いの強さを、そのへんの覗き見趣味といっしょにされたら困る。

 自分が持っている世界、所属、知らず知らずの間にも作ってしまった自分なりの世界を、これはもう「違う」な、といってあっさりうち壊してしまう、それはもう、「知の情熱」というしかない。

 こういう人がもつ美しさは、言うも言われない。

 こういう人はあんまりみない。こういう人はだいたい、俗世に見切りをつけて独自の世界へいっちゃって、「隠棲」する人が多いですから。(^^;)
 私が「隠棲しないでいてくれる知の人」と仰ぎ見て、現在もご壮健なのは、塩野七生さんくらいになっちゃったかな。

 知りたい、本質をみたい、という知の情熱を表現したものとしては、岡野玲子さん「陰陽師」に登場した言い方がいちばん的確だし、好きだな、と感じます。

「見よ
 存在の様々な在様(ありよう)を探求しようとする
 精神と魂が滅びることはない

 物質の
 蒙昧(もうまい)の闇に 倒れても

 何度でも 立ち上がる
 
 龍の魂のように
 不滅なのだ」



 歴史を振り返れば、この種の人はどうしても、世の中の「一般の」ひとからは疎まれやすいし、ときの権勢者からは憎まれる。
 ふつーの人は知りたくないことを、わざわざ見つけてきて世の中に広めちゃったりしますから。そりゃ憎まれますわ。(^^;)
 そうして殺されても殺されても、——でも、こういうひとはまた、現れる。

 全体からしたら数は少ないかもしれませんが、こういう、知りたいという情熱を持つひとが、この世から絶えて消えることも、ないのかもしれません。
 
 
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