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理解できないという理解

 オバマ米国大統領閣下が広島を訪問なさるということで。
 まあそれはよろしいんじゃないでしょうか、と思って聞き流しておりますが、あいかわらず、あのわけのわからない論争が聞こえてきますねえ。

 日本がいつ、アメリカに対して原爆投下の「謝罪」なんか求めたよ。
 ただ、なにがあったか知ってくれ、知った上で、核兵器をなくす意味を考えてくれというだけでしょう。

 なぜ、この地を訪れるだけで「謝罪する」ことになるのか、「自分たちは正義ではなくなる」のか、わけがわからない。
 さすがマッチョ文化は脳みそ筋肉だな。——と思って聞いております。

 中共あたりがぐだぐだ言っているのはもうゴミも同然ですから無視していいことですが、ともあれ、なにかっつーと謝罪だの正義だのと騒ぐ人々を見ていると、どうにも憂鬱になりますね。

「死んでしまえばみな仏様」という、日本人の無意識にある概念、勝ち負けや正義・不正義は俗世のことで死者にはそんなものはもう関係なく、ただ、その亡魂をなぐさめたい、という純粋な気持ちは、まったく世界の中では超絶例外なんだなと実感します。いやな実感ですけどねえ。

 人間はどうしたって自分を基準にして考えますから、たぶん——いまだ、たいていの日本人は、自分たちの持つ概念が、世界の中では「唯一」といっていいくらい個性的なものだとは理解できていないでしょう。
 個性的なんていうといいようですが、なんのことはない、それは「他者から理解されない」「孤独」を生きることを意味します。

 死者への、慰霊するこの思いは人類共通のもののはず、というのは、あまりにもノーテンキな考えです。
 が、それを指摘する人もなかなかいないようです。

 死者を弔う気持ちは、本来的には人類共通でも、宗教や文化はそれをひどく汚染してゆがめている。
 ゆがめているということを自覚している人は、——いま地球には何十億という人間がいるけど、1割にも満たないんじゃないのと私は思いますね。
 主観というのはいやおうなしにバイアス(偏見)のことですが、自分がどんなバイアスをかけているかを自覚するのは、簡単じゃない。

 諸外国の人々には、日本人が広島に来てくれと言っている「気持ち」は、これまた、想像を絶している。
 日本人の心情としては、こういうやさしい気持ちを自分で説明してアピールするなんて、そんな小っ恥ずかしいことはできない、というところですが——この文化ギャップをどうにかしたいなら、その小っ恥ずかしいことを、倍にも3倍にもして、行わなければならない。
 そこまでしなきゃ理解なんて得られないし、そこまでやったって、どこまで理解されるかわからない、というのが実態。
 ………そう考えると気が遠くなりますね。

 理解、と皆さん簡単におっしゃいますが、そう簡単なもんじゃないです。

 まず自分がなにをもっているのかを理解するのかが至難の技だし、相手がなにを持っているのかを理解するのも至難の技。
 さらにそのうえで、言葉の通じないもの同士、言葉の周波数をチューニングして、なんとか双方、音声が聞こえるようにしなければならない。

 相互理解だなんて簡単に言ってくれるな、と思いますね正直なところ。

 理解なんてできない、ということをまず、理解する必要があるようです。

 神道はドグマがないので厳密には宗教ではないともいわれる。
 祈りにくるものをなにも拒まない、宗教というよりアニミズムにちかいくらいの「神の国」の人間としては、俗世のごちゃごちゃなんかどーでもいい。
 ただ、亡くなった方のために祈ってくださるのは、いつでも歓迎。
 それだけですね。

 理解、というものの絶望ぶりを、ただ今回はあらためて噛み締めております個人的には。

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 明日はまたちょっとお出かけのため、こちら、おやすみします。m(_ _)m
 どうぞ皆様、楽しい週末をお過ごしください。
 
 
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