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2016.05.18 (Wed)

ひとつの宇宙の喪失

 ただいま「スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー」を少しずつ読んでおります。


 
 ローリング・ストーン誌というものがどれほど「地位」のある雑誌か、が、まずはポイントになるかもしれませんが、いまのところはそれも脇に置いてしまって。

 インタヴューといってもいろいろあるものでしょうが、この巨大な知性に「インタヴュー」することの難事業を、ふと考えてみたり。
 尋ねて、答える、という作業はむしろ虚構を強め事実を遠ざけ、質問されている人にしてみたらほんとにク■みたいなものになりかねない。そういうものを。

 細心の注意を払って、また長い時間をかけて行われたこのインタヴューは、なかなか貴重なものなんでしょう。

 こんなにしっかりした1冊の本になるようなものを、雑誌の数ページの記事にしてしまう、その「暴力」ぶりって、ほんと酷いな、と思いつつ読んでおります。
 ひごろ、雑誌にあるインタヴュー記事や対談、鼎談の記事も、私はあんまり「マトモ」には読みませんが、もうそれくらいの距離感でいていいだろうな、という感触を強めてます。(^^;)
 それくらい、この筆者のジョナサン・コットさんは入念に準備をしていたし、「タイミング」をきわめて重視していたし——それくらいの時間をかけ注意を払ったのは、インタヴューというものが本当は『危険』で『破壊的』で、どれほど『事実を伝えない』ものかが、よくわかっていらっしゃるから。

 これほどの準備(インタヴューする人とされる人との人間関係すら!)を重ねてやっとどうにかできた、という解説が冒頭にあるんですが、なるほどなあ、インタヴュー記事になんとなく信用する気が起きなかった私の感覚もけっこうアタリなのかもなと思いました次第。

 人が語ったものを「まとめる」と、「記事として」マトモなものになるほど、語られた「事実」からは遠ざかる。
 皮肉なものですね。

 その事実と記事との乖離(かいり)をなくすことに腐心したこの一冊、ゆっくりじっくり考えながら読むほうがいいようです。

     ※      ※

 それはそれとして、本書の冒頭、まえがきより前のページにある引用のうちのひとつに、ああそうそう、と思いまして。

「男がひとり死ぬと、われわれは図書館をひとつ失う。
   ——キクユ族の古い言い伝え」



 男が、というのを「人が」にしていただければ私は全面的に同意。
 
 栗本薫(中島梓)さん、小松左京さんという、子どもの頃からある意味「心の拠り所」のようにしてきた「巨大な知性」を失って、そんなふうに、私も思います。

 これはじっさい、誰がいなくなっても同じこと。
 私もこのへん、ちょっとヒドイ感性をしてると思いますが、人が死ぬということ自体にはさほど抵抗はしないけれども、人ひとりが死ぬと、その知性が消えてしまうということには、ものすごい「くやしい」気持ちになります。

 なにかが滅んでいくことは当たり前と受け入れているけれど、その人ひとりを失ったときの、知的な活動がすべて失われて、しかも2度と戻らないということが。
 残念で悔しくてなりません。

 人が死ぬということは、ひとつの宇宙が消滅するということなのだ——それくらいの重大事だ、と思いました。

 誰かが感じたこと、言葉にしてくれたこと、その人の精神や考え……それらがもう2度と現れることはない、というのは、悲しいとかいうよりもただ、残念。

 中島梓さんがお亡くなりになってからしばらくは、「中島梓なき世界」について、ご本人があれこれとあの調子で軽快に書いてくれそうな気がして、サイトをなんども拝見に行っておりました。
 そんなことがあるわけはないのですが。

 こんなとき、あの人はなんていうだろう、という興味は尽きない。
 けれどもそれはもう失われて2度と現れない。
 そう実感したときの、喪失感。

 あれほどすぐれた知性と感性も、人が死ねばあっけなく消えてしまうのだ、と。
 そう思うと、人の死というものがどれほどのものか——と思うんですが、でも、「命の大切さ」とかっていうような人からはご賛同いただけない気がする。
 私が惜しんでいるのはその知的活動(の喪失)であって、その人そのものではない、というところがあるので。
 たまに、なにやらひどく冷血漢あつかいされることがあるのは確かですね。(^^;)

 もはや未来においてその知性の働きと出会えることはないけれども、こうやって、過去からの遺産として、またすぐれた知性に出会えることはある。

 そのこと自体はありがたく思いつつ、読んでいきたいと思います。

「書くことは抱擁だ。抱きしめられること——想念のひとつひとつがこちらに向かって手を伸ばしてくる。
   ——スーザン・ソンタグ (ロマン・ロランについて)」


  
 
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