Entries

新作Tシャツ待望論

 昨日、ツイッターのTL(タイムライン)をざーっと眺めていたときに、アメリカの人気の俳優さんかな、そのかたの話題のツイートがありまして。
 有名人ではない、ふつーの生活がしたい、と、おっしゃったんだそうで。

 それは本音だろうなあ、気の毒に…と思いつつそのまま通過。

「放っておく」ことも親切って、ありますよね。
 以前もどこかでそんなツイート見たっけな。手助けが必要な人にどんな手助けが必要かを想像する思いやりも大事だけど、「いまはそっとしておく」ことを考える思いやりも、子供に教えておいたほうがいいよね、というものでしたが。

 ……これはことさら子供に教えておけってことじゃなく「オトナどもはもう手遅れ」という絶望感があるようにお見受けしました。(^^;)

 本日付「ほぼ日・今日のダーリン」が、世間に満ち溢れる「余計なお世話」についての話題で、

「なんにもしない、というのも親切なんだよね」


 というお言葉に思わず、ああやっぱりそういうもんですよね。と頷いておりました。

「ん~、「余計なお世話!」っていうTシャツでもつくる?」



 いいですね。( ˙-˙ )真顔

 言われないとわからないヤツは、言われたってわからない、というのも、真理ではあるので(笑)、そういうTシャツに、どこまで「抑止効果」があるかはわかりませんが、おとなしく黙っている義理もないですよね。

 ツイッターでもたまに妙なジレンマを覚えることがありまして。
 誰かが誰かの悪口をいっている、でもその悪口は多分に「悪意をもって『わざと』ねじまげられた解釈」であり、事実とは言い難い。こんなデマを流されたら、この言われている側の人が気の毒だ。
 ——とは思うんですが、だからって、この悪口がいかに不当なものかを訴えるツイートをするとですね、結局、その「デマ拡散」を、間接的に自分がやっちゃうことになる。

 そうなりますと、黙っているほうが「良策」ということで、このク■野郎と思いつつも、ひたすら、無視して黙っている——そういうときがあります。

 ゴシップ、噂話は基本的にキライ、褒めることならがんがんいくけど、貶す系統のことは——ましてそれがだれかのプライバシーのことであれば、黙っているのが最善でありマナーでもある。

 そのマナーをだれもがわきまえていれば、たとえどれほどの有名人であろうとも「ふつうの生活」は、ある程度は守られるんだろうになあ、と思うとどうにも。
 この手のゴシップ大好き人間にその昔、注意したことあるけれど、まーすごかったですね反応が。
 なにもそんなにムキにならんでも、といいたいくらい興奮して、私の「非」を責め立て、挙げ句の果てには「知る権利」と抜かしたからもう、こちらとしても呆れ果てて言葉もない——ということになりました。

 余計なお世話をする人々は、自分の行いが下劣だということを心のどこかでわかってるんだなとそのとき思いました。
 そうでなければ、あれほど興奮する理由がない。

 なぜそう人に対して冷酷になれるのか、というのが、どうも私には不思議です。
 そのくせ、自分がちょっとでもそういう「被害」にあうと、これまたキチガイ沙汰に騒ぐ。
 わかりません。(^^;)

 ひとまず「余計なお世話!」Tシャツ、いいアイデアだなと思いました。
 私も、1着と言わず、色違いで数着そろえたい(笑)

 場合によっては他人様に向けてではなく、自分自身に——「自戒」として着たいときがあるかとも思いますし。(^^;)
 
 
 
関連記事

ご案内

プロフィール

みずはら

ブログ内検索

最新記事

地球の名言

presented by 地球の名言

右サイドメニュー

月別アーカイブ