「〜しようではありませんか」
 新聞の書評にあった一言に惹かれて購入。これから読みます。

「スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタビュー」


「ソンタグは自分の身に起きたことについてはすべて、その責任は自分にあると考える人だった。……
 そうした態度を徹底したのは、「人々が自己の責任を直視せず」にすむように仕向ける現代社会への抗いだった」



 民主主義といい、主権在民といいながら、けっきょく、なんでもかんでも、お上(かみ)だったり役所だったり大企業だったり、「だれか」が自分に何かをしてくれるはず、してくれて当然、自分はなにもしなくてもいいのだという考えに、多くの人が「汚染」されている現状を、私としては疑問に思っておりまして。
 本書が私が心惹かれた通りの内容かどうかはまだわかりませんが——でもこの一言には、おや、と思いました。

 面白かったらまた感想でも。

        ●

 またへんなところにこだわってる、と笑われるでしょうが、でもやっぱりコレ気持ち悪いよー! と思う「言い回し」がありまして。

「〜しようではありませんか」

 これがもうねー。虫唾(むしず)が走る、という言い方がぴったりくるくらい気持ち悪いんですよね。

 先日も日本語に関する本を読んでいて、なるほどねえ、と感心していたのですが、その最後の最後で好意的な何かが崩壊しましたね。
 この一言で。
「〜しようではありませんか」
 最初は、社民党や共産党、民主党(現・民進党)の、「ああいう」人たちが演説中によくいう言い方だなと思っていたんですが、これ、なにか便利なところがあるんでしょうかね。ほかの人たち——政治家以外でも聞くようになってきて、いやはやもう、参っております。

 この言い方がなぜそんなにまで「気持ち悪い」かが自分でもちょっと不思議でしたが——とにかく、「〜しようではありませんか」と言われると反射的に「知らんがな」と返したい衝動を覚える。ということは、へんなふうに「他人を抱きこもうとする」感触を覚えているってことなんでしょうね。

 ゴミ拾いでも、新しくて便利なシステムでも、法整備でも、福祉の理念でもなんでもいい。そういう「いいこと」についてとうとうと語り、なるほどなるほど、そりゃいいですねと感心して聞いていても、
「〜しようではありませんか」
 と言われた瞬間、気持ち的には天の川銀河の直径(約10万光年)ほども引きます。
 
 ………完全に余談ですが、その約10万光年をkmに直すと、約100京(けい)km(1,000,000,000,000,000,000 km)だそうです。
 わかりませんね(笑)

 
 さんざん放射脳のいいぐさに頭にきていた理由も根は同じで、「いちいち人を巻き込むな」ってこと。
 私はどうしてもこういうものが嫌いみたいです。
 正直言って我慢がなりませぬ。

 立派な行いについて述べるまではよろしいが、そう思うんならさっさと自分で始めればいい。それを、他人の顔を見て「しようではありませんか」? なにそれ。
 なんだろう。ぜひご一緒に、とか、あなたもいかがですかとか、ご賛同いただけませんかとか、そういう言い方なら、そうですねえと考えるところ、「しようではありませんか」と言われたらもう、なにがなんでもその場からは離れますね。

 お話がどれほど立派なことで、賛成できることで、じっさい自分もやってみようと思うことであっても、「その人」とはイヤだとまで思う。

 押し付けがましくて、相手に否やとは言わせない、それでいてなんかエラそう、というのがイヤなんでしょうね。
 とにかくこの言い方をしたら、ただイヤだというだけではなくて「信用できない」というところまでくるんですから、かなりのもの。

 でも、深い考えもなしにそう口走っている人も、最近では多いようにお見受けしますので、いきなり信用できないとまでは考えないようにしていますが——もともとの感覚としてはね。(^^;)

 相手の意思を認めないニュアンスを感じる。
 詐欺師の手口ですよね、相手に考える時間を与えず、自分の狙っている方向へ人を誘い込んで、自分の思い通りにしようとする。

 自分の考えをのべたあと、「どうでしょうか」と尋ねるのは、可否の判断をちゃんと相手にまかせている態度ですよね。その場で大賛成っていうかもしれないし、今日のところは持ち帰らせてくださいというかもしれない。
 その意志を待つ、認める、という感じが、「しようではありませんか」にはない。

 知らんがな。——と言いたくなるのはそのせいでしょう。

 話の内容にたいする賛成反対ではない。それはまた別の話。
 知らんがな、というのは、そうやって有無を言わさず他人を自分の思い通りにしようという態度にたいする「反対」。

 そうかなあ、そんなニュアンスあるかなあ、と言われるだろうことも承知しておりますが。(^^;)

 どういうわけか私は、他人に足元を見られる、利用されるということにはひどく敏感で、おそらく本人さえ意識していないだろうことにまで、警戒しているんですね。

 意識は言葉を作り、言葉は意識を作る。
 最初のうちはそんなつもりはなくても、「しようではありませんか」を常用しているといつのまにか、「あなたはいかがですか」と、相手の意向を尋ねる、尊重するという、「心の姿勢」がなくなってしまうかもしれませんよ。

 ということで、私としては、この言い方、よほどのことがない限り、やたらには使わないことをお勧めしたい——というより現状では「お願い」したい。(^^;)

「〜しようではありませんか」ではなく、「ぜひ、そうしましょう」と言われたらどうかな、と考えてみましたが——この場合も、そうですねえ、と自分なりに考える余地は残されている感じがする。
 ありませんか、とは、けっこう「強い」言い方なのかもしれません。

 詐欺師まがいの手口で他人をコントロールしようとするな、と。

 私が思うところは、そういうことのようです。
 
 
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