己の頭の蠅を追え
2016年05月12日 (木) | 編集 |
 いわゆる若者言葉を世間はちやほやする傾向があるけど、あれはなんでだろう——とは、ときどき考えていたこと。

 若い人たちの、言葉というよりも暗号あるいは符牒(ふちょう)を、大人どもがこぞって知りたがり聞きたがり使いたがる。
 で、よせばいいのにその聞きかじった言葉を使い、若い人に「痛い」などと言われている。
 これがどうにも私には不思議に思えておりました。

 そもそもなにゆえに、お若い方々には暗号めいた「若者言葉」が作られるかといえば、それもまた一種の反抗期の現象ではないかと。
 反抗期というのはようは、それまで依存していた存在や世界から離れて、自己を確立しようと奮闘する時期。
 自分たち「ならでは」の言葉を作り、これまでの世界とは隔絶された世界であろうとする、その小道具のひとつとして「開発」されるものじゃありませんかあれは。

 いちいちそんなことを意識しているわけもないでしょうが、まあ、オトナどもには気づかれない符牒を耳打ちし合い、意味がわからずきょとんとする連中の顔を見ては、「あの世界」から「独立している」自分を確認する。

 ——とはいえ。
 若い人はまだこの世に生まれてあまり時間もなく、人と人とのネットワークも(ほぼ)なく、「文化」をつくりだせるほどの時間も土壌も知識も経験もない。
 で、結局——「言葉っつーより符牒だなこれ」などといわれるところにとどまらざるを得ない。
 私がみるところの「若者言葉」というのは、そういうもの。
 まあ可愛いものじゃありませんか。

 むしろわからないのは、こういう若者言葉をわざわざとりあげる、たとえばマスコミなんですが。
 若い人だってオトナどもと話すときには通常の日本語を使う、くらいのことはちゃんとしますから、オトナどもが若者言葉をあえて知っておく「必要」はないですよね。
 なのに、一生懸命採集して、調べて、意味を聞いて歩いて、「いまはこんな言い方をします」などと新聞記事に書いたりする。

 でも、若い人たちにとっての「暗号」という役目もあるので、そうやって、オトナどもにリークされるころには、彼らの間ではもう、用済みになっていることがほとんどなんですよね。

 つまりはもはや若者言葉ではなくなっている——若者言葉「だった」ものにすぎない。

 とうにその流行も終わっているのに、「いまはこういう言い方するんだって」などと——若いもんに聞くな!! 言うな!! わけ知り顔すんな!! 頼むから!!(涙)

 なんかもうねー、同世代の中年としてはいたたまれないときがあるんですよー。(T ^ T)
 だれかどーにかして(涙)

 自分だって20〜40年前は(当時の)若いもんやってたでしょ。それでこうやって、知りもしないのに「若者文化」に知ったかぶって首を突っ込んでくるオトナっていたでしょ。そういうオトナをどんな目でみていたか、覚えてんでしょ?

 ………ということで。
 私はそちらのほうに大いなる疲労感がございます。(^^;)

 若者言葉とやらはあれはいわば身内言葉なんだから、部外者が無理に知る必要も、まして半端な情報をもとに通ぶって使う「必要」もない。
 そんなことをしたって「回春」なんかできませんよと冷たーく言い放ってしまいそうな自分が最近、ちと怖い。(^^;)

 若者言葉は彼らの世界のこと。
 こういうとなんですが、いつの時代でも若い人というのは社会の中では「周縁」の存在にすぎない。いかに「時分の花」でもてはやされていようと、核にはなり得ない。

 ゆえに、若者言葉をつかまえて「日本語の乱れ」だなんて真顔でいうなよみっともない——と思うわけです。
 むしろ、若い人にちゃんとしたお手本を示すことができないオトナどものほうを深刻にとりあげるべきじゃないですかね。

 ゆとりといわれるのを、可哀想なくらい気にしている人たちは、むしろ勉強熱心ですよね。いま。
 こめかみのあたりがピリピリしてくるほどへんな日本語を話すのは、圧倒的に「いまどきの古いもの」のほうですよ。
 で、若い人のほうがさらっときれいに敬語を使ったりして、本当にえらいなあと思います;;

 意識改革はむしろイマドキの古い連中に求めるべきもの、というのが、私の個人的な見解です。

 とにかく、「いまは何をやられてるんですか」という質問がとんできたら、いつか本当に相手を殴りそうなので、これはぜひやめてもらいたい。
 このへん、けっこう深刻に思っている昨今です。(^^;) 
 
 
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