夢のような
2016年04月30日 (土) | 編集 |
 今日で4月も終わり、明日から5月ですね。
 4月は2、3月にも増して早かったなー…。
 なにか気を張っていたというつもりもないんですが、GWに入ったらなんだかもう、気力ががっくりきている感じで(くじけている、というほどでもない。脱力してる程度)、……そんなわけで今日は実質、おやすみみたいな感じで。(^^;)

 今日はおやすみですといって退場しようかと思っていたのですが、ふと、「バクが夢を食べるといわれているのはなぜか?」ということが脳内に閃きまして。

 ざっと検索してきただけのことでなーんの裏もとっていないまま、ただの雑談ということで申しますが。
 古代中国では、「体はクマ、鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラ」という、「ぬえ」みたいな幻獣が想像されていたんだそうで、これが獏。
 これが絵で日本にも伝わっていましたが、明治以後、動物のほうのバクを見たとき、あら似てるというので、日本ではバクとしちゃった——…ってマジなんですかこの話

baku_s.jpg
マレーバク

 もともとの幻獣、獏は邪気払いなどをするといわれ、夢を食べるということはなかったそうですね。
 悪夢を食べてくれるのには「莫奇(ばくき)」という神様がいるのだそうで、これが日本へ伝わるうちに「習合」したようです。

 まあでも、悪夢を見ればしばらく気分が悪いということもあるから、悪夢を食べてくれるのならそれだって「邪気払い」といえますよね。

 悪夢をよく見るので、枕元に獏の絵を置いておくとか、そんなおまじないが日本ではあったようです。

 悪夢を食べてもらうとどうなるかな——食べられちゃったんならもう夢のことは思い出さないかな? でも夢を見たこと自体を忘れていたら、獏の働きに気づかないことになるわけで、それだと獏には申し訳ない気もします。(^^;)

 夢というのも不思議なもの。
 いろんな伝承があるし、「付き合い方」もいろいろあるし。

 夢を見て喜ぶことも、ドキドキしながら目が覚めてしまい、全身、冷や汗がべったり……というときは、体調のせいかとも思いながら、やっぱりなんだか落ち着かないものですね。
 フロイトは夢判断で潜在意識の世界を示しましたし。
 
 つらつら、夢の世界のことを考えてみるのも、なんとなく楽しい。

 私は昔は夢ばかりみていましたが、最近は夢をあまり見ません——というか医学的には必ず見ているはずですが、「覚えていない」というべきか。

 記憶の整理という役割もあるという夢。
 たかが夢と侮ることもないんでしょうねえ。

 小野小町は何首か夢にまつわる歌を残していますが——、「思いつつ寝」て恋しい人を夢に見たというのですが、思っていれば必ず見られるというものでもないようで。
 これも超・古典的おまじないですが(なんせ平安時代にはあった)「いとせめて 恋しきときは ぬばたまの 夜の衣(ころも)を 返してぞ着る」という歌を3回唱えて、寝間着を裏返しに着て寝れば、その人を夢に見ることができる——なんてのがあるくらい。

 小野小町はそういう意味ではラッキーだったのかな。

 しかし色気のない現代医学では、夢には補償として機能するところもあるので、——つまり、本人が不満に思っていること、こうだったらいいのになと強く思っているもの、喪失感や不足に感じるものを「埋め合わせる」働きがあるので。
 恋しい人を夢に見るのはある意味、現実の世界で疎遠であるからこそだ、なんていうんですよね〜。(^^;)

 現実では満足されることがない、とわかっているので、せめて夢の中でその強い不満や不安をやわらげたい、ということの表れだと。
 そう言っちゃったら身も蓋もないじゃん……。

 これほど思っているのになぜか夢にはカケラもみない、という場合は、案外、自分が思う以上に、さほど不満でも不安でもないってことかもしれません。

 
 とりとめもなく夢の話をして、本日はこれにて失礼いたします。m(_ _)m
(本当に脳みそがお休みモードみたいです
 
 
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