戸板返し
2016年04月14日 (木) | 編集 |
 話が二転三転して面白い。(^^)
 
 東京大学の入学式で、学長さんが、これからを担うお若い方々に「知のプロフェッショナル」であってほしい、という思いから種々お話なさったのが、「伝言ゲーム」でえらいことに(笑)

平成28年度東京大学学部入学式 総長式辞

 東大の学生さんといえば、そりゃもう日本のなかでは頭のよさトップの方々。
 ではありますが、じっさいの社会では「東大出のバカ」などと陰口を叩かれる人も、なかにはある。

 知というのもいろんな「種類」があるもので——ただ知能指数が高いというだけでは、社会のなかではあんまり意味がないというか、むしろ周囲にはかえって害になる(なまじ頭がいいばっかりに)ということもありますね。

 とくに東大は、学術分野よりは政治分野(公務員含め)に縁(ゆかり)が深いわけで、なおさら、「頭はいいけど実社会ではイマイチ」では困るわけですね。
 で、学長は「知のプロフェッショナル」という言い方で、「ただ頭がいいだけではない、いい頭をちゃんと有効活用できるような人間」であることを求めた——というように、私は拝読しました。

 この学長挨拶はご覧の通りのなかなかの長文だし、学生さんに言いたいことを漏れなく伝えたいという思いからでしょう、対象となった分野も複数ある。
 これをさっとまとめるのは難しいこと、まして文字数に限りがあるとなってはなおさら——ということで、こんな抜粋になっちゃったのか。

東大生よ、新聞を読もう…入学式で五神学長
2016年04月12日 13時46分 YOMIURI ONLINE

 多岐にわたる話題のなかでたしかに学長は新聞の読み方にも言及しておいでですが、おっしゃることは、新聞を読めではなく(むしろ読むことは大前提になっている)、どう読むか、何を読むか、また、それをどう「自分に生かす」か、それをお話なさっているのですね。

 間違いじゃないけど、正確ともいえない「要約」ではありますね。
 ゆえに、この記事だけを読んで「東大の学長は、新聞に書いてあることを鵜呑みにしないで読め、くらいのことはいうべきだ」という批判が出て。(御用学者ですとさ)(芸のない定番悪口ですね)
 そのツイートをみた人からは「だから学長は新聞を無批判に読まず、ソースを偏らせずに読めってちゃんと言ってるのに、この人はそれこそ『見出ししか読まない』のか」といって批判が出て。

 面白いな。批判が180度ずつ反転して元に戻ってる(笑)

 ちゃんと読む、というのは、なかなか困難なことのようです。

 私は、学長のおっしゃることはごもっともであり、「御用学者」だなんて思いませんよ。

 結局、新聞その他がどれほど低俗で低レベルで「誤読」を誘って信用ならないものだとしても(←ボロクソ)、どうしたって私どもはそこから情報をとるしかない。
 仮に、それが優れたジャーナルだとしても、結局は、「記事」の本質は、「他人から伝え聞いた話」でしかない。
 自分で確かめたことではない、ということを、「つねに」念頭においておく必要がある——それだけは、たしかに言えることだと思いますね。

 今回みたいに、へんな記事やへんなツイートをみて、なんだそりゃと思ったら、直接、学長挨拶本文を自分で読める、というのは幸いなことで、いつもそうしたことができればいいのですが、すべての情報について自分で検証ってわけにはいかない。
 健全な程度に「疑い」の余地を持つこと——これでいくしかないんでしょうねえ。(^^;)

 焦点ずれた話が重なると、本当に伝言ゲームみたいに話がとんでもないほうへねじ曲がるというのを、目の前でみることができた事例ってことで、面白く拝見。
(面白がっていられるようなことならいいんですけどね;;)
 
 
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