ONE OK ROCK 2015 “35xxxv" JAPAN TOUR LIVE & DOCUMENTARY


■まず雑話

 これはいいな! と思ったのはリージョンフリー(全世界共通)ってこと。
 昔は、パソコンのリージョンコードの設定を変えながら見るってことをやっていたので(しかも設定変更できる回数の制限があった;;)、リージョンフリーってありがたいとつい条件反射的に思ってしまいます。

 ということで。
 例によって、まともに「感想」と言えるほどのものは、私なんぞにとうてい書けるものではありませんから、気楽な寝言を書きたいと思います。
 思ったことを、いくつか。

【内容紹介】
ONE OK ROCKの全24公演26万人を動員した全国アリーナツアーのさいたまスーパーアリーナ公演をDVD/Blu-ray化決定!
このアリーナツアーは、ONE OK ROCKが2015年5月からスタートさせ全24公演で26万人動員したアリーナツアーで、その中でさいたまスーパーアリーナ公演をあますことなくパッケージした作品となっている。
今作は2枚組となっており、1枚目はライブ、そして2枚目はツアーに完全密着した裏側に加え、サポートアクトとして各地のライブを彩ってきたアーティスト達へのインタビューも含むドキュメンタリー映像となっている。



 ……とのことで。

 異様にくじ運が悪い私が奇跡的にツアー2日目に行けたというだけでも、個人的にはエライことでした。(^^;)
 たぶんあれでくじ運、使い果たした。
 だからもう2度と行けない(当選しない)と思うけど、でも、それでもいいやと思えるものでした。

 昨年のいまごろには「ONE OK ROCK 2014 “Mighty Long Fall at Yokohama Stadium”」のDVDを見て、思いもかけない衝撃で、文字通り悶絶してしまいまして。
 ライブに行ったのはそのあとのこと。



 DVD鑑賞時の私の動揺ぶりを知っているTさんが、「ライブ途中で気分が悪くなったときの避難方法」を伝授してくださったのも、すでにいい思い出です。その節は、ありがとうございました。
 幸い当日は夢心地でおりましたので、大丈夫でした。

 ジャンルに特にこだわりはないとはいえ、ロックというものには縁がなく、その「文化」を見るにつけ、私には一生ご縁のない世界だろうと思っていたので、ライブに行くのは相当な覚悟が要りました。チケットを申し込みながらも、まず当選しないだろうと思っていたので、当選がわかったときは逆に動揺しましたもんね。
 右も左も分からない、というのが比喩でもなんでもないという。(^^;)

 ということで、正直なところ「部外者」があまり勝手なことを言うと、的外れなことばかりになるんだろうなという感覚が、今もあります。
 感想をいうのも、じつは、ちょっと気がひけます。
 それでも、ドキュメンタリーを見て、ついでライブ映像を見て、すごいなあ、とあらためて思いましたので、そのへんでちょこっと。



■刹那の生きもの

 このDVD(Blu-ray)のレビューでも、ほかのコメント欄でも散見される感想に、泣ける、泣いてしまった、というものがあります。
 私も、じっさい——なんで泣けるのかあ。と思います。(^^;)
 泣けるとは言っても、これみよがしの、さあ泣けホレ泣け、という、イヤラシイ演出があるわけではないので念のため。
 そんな演出があったら逆に席を蹴っていきますねあたしゃ(笑)

 それは、ただカッコイイとかスゴイとかいうのではなく、もっと深いところにある感情そのものが揺さぶられる感覚です。
 感動した、といえば感動なんですが、——泣けるというのは、つまりは「浄化」。
 ふだんは深い場所に眠っているなにかが、揺り動かされ、クリーニングされる。涙はそんなときに出てくるもの。

 その「浄化」の感覚を受け取る人が少なくないってことなんでしょうね。
 すごい、かっこいい——そんな言葉じゃ間に合わない。
 だからいつも迷うんですよねえ……言葉が見つからなくて。

 今回、ディスクの再生開始時に注意書きが表示されまして、「途中、音の歪みがあるけれども不良品ではないのでご了承を」ということでした。
 たしかに、そういう箇所はありますね。(^^;) 歪みというのか音割れというのか。
 でも、それは瑕疵(かし)とは思えない。ライブ——「生きもの」であることの、証明に思えます。
 それくらいの迫力。
 というより、「凄み」。
 きれいに設計された音が聞きたいならCDを聞けばいい。ライブの魅力はそれとは違う。

 ライブという「なまもの」の音は、その一瞬にしか現れず、二度と再現されることはない。

 DVD、Blu-rayってようは録音録画ですから、「本物の生もの」ではありませんが、それでも、その魅力と中毒性は十分、伝えてくれる。



■神降ろし

 ドキュメンタリーを含めて見て思ったことは、 ONE OK ROCK さんはたしかに時代というものに呼ばれているし、ある意味気の毒な気もしますが、神様に見込まれてしまったのだ、ということでした。

 今回ツアーにはいろんなアーティストがサポートアクトで加わっていらっしゃいまして、それはもう、それぞれが素晴らしい方々ばかり。
 私は序列というものが好きではなく、じっさい、「本質」から考えればそんなもんはこの世にはないと思っているので、滅多に懐(いだ)く感覚ではないのですがそれでも、
「 ONE OK ROCK さんはやはり、どうしても、図抜けている」
 そう思いました。

 簡単に一番二番とは私にはいえません。それでも、「図抜けている」と思う。

 そりゃあまあ、 ONE OK ROCK さんのDVDなんだし、編集はそのようになされるわけだし、ファンというのはそういう目で見るわけですから、私の言葉も多少は割り引いていただくのが妥当ですが。
 割り引いてもらってもなお、彼らがほかのアーティストから「図抜けている」のは、「客観的事実」。

 ファンではない人にも、程度の差はあれ、その「図抜けている」ところはわかるはず。
 好き嫌いはまた別の話になるけど。
 ファンではない人がみて聞いても、なにも心に響かないということはないはずです。

 なにが図抜けているかという具体的なことはなかなかいえません。なにかどれかのひとつの要素だけがスゴイのではなく、いろんな要素それぞれが集まって生じるものとしかいいようがない。
 つまりはそれがバンドというものでしょうか。どれが、だれが、ひとつだけが素晴らしいのではなく、それぞれに素晴らしいものが絶妙のバランスで押し合いへし合い支え合い響き合いしている。

 触れることもできないどころか、息をすることもできないほどに突き詰めた形の、描きこまれた砂絵——というイメージかな〜。
 とくにチベット仏教のそれは何日もかけて描きながら、行事が終わると消してしまう。
 描く途中でくしゃみでもしようものならすべてやり直しになります。咳ひとつできない、息詰まる作業を重ね、恐ろしいほど精緻に描かれた曼荼羅は、あっさり崩されて消されていく。

砂絵マンダラ
ブログ「棚からぼた餅--岩淵龍王丸」様エントリより
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 ライブは砂絵に似ていますが、ここで見る・聞くことができる「砂絵」は、ただの絵ではなく、それ自体に命が宿ったようです。
 だから、天に見込まれちゃいましたね、と、私は思う次第で。(^^;)
 音楽は芸術の中でももっとも天に近いもの。
「神降ろし」にもにた、絶妙のバランスとエネルギーの上に生まれる「生き物」の魅力を、完全に無視できる人はいない。

 どうしても、その図抜けた力を認められない人がいるとしたら、それは「結論を最初から決めている人」でしょうね。
 好き嫌いであれ、音楽はかくあるべきという主張であれ、「『らしさ』とはこういうもの」という思い込みであれ、なにかの信条であれ、ものごとの結論を最初から決め付けている人は、どうしても間口が狭くなりますから、ちょっと「入りきらない」だろうな。

 それ以外の人々には、この「図抜けている」「事実」はわかるはず。そう思います。



■音の量子

 音というものが、私には不思議に思えてなりません。

 量子物理学で見ると、音は粒子、つまり「物質」なんですよね。物質としての音の最小単位は、「音子 フォノン」という量子です。
 粒子であると同時に、空気振動である音は、波動でもある。
 空気のないところでは音は聞こえません。

 でも、真空の宇宙でも音は「ある」んですよね。
 空気がないから振動はない、だから「聞こえない」、というのはたしかにそうですが、でも、音が「ない」わけではない。
「存在はしている。聞こえないだけ」。

 ONE OK ROCK さんの音の中では、この、聞こえない音が、いつも鳴っている。
 だから、人の心のうちの、ありえない場所にまでやすやすと侵入してくるし、「なぜかわからないけど泣ける」し、ファンというわけではない人にも「届く」。

 好き嫌いはべつのこと、でも、「滅多に触れることができない音」に触れる、そんな体験ができる作品です——と、私としては、そのように太鼓判を押せます。



■蛇足

 以下、蛇足。
 というか、寝言です。(^^;)

 時代に呼ばれるというのも神様に見込まれてしまうというのも、たしかに素晴らしいことで、許される人はそう多くない。
 それはたしかに、この世において「頂点」となるものでしょう。
 だから人はそれを羨望する。
 自分もあのようでありたいと思う。

 でも、羨望する「だけ」の人は、その「リスク」を顧みない。だから呑気に嫉妬なんてしていられるんでしょうね。

 たしかに祝福ではありますが、——時代の方はともあれ、神様に見込まれるとねえ……たいへんなんですよねえ;;
 ハードワークになるのはもちろんのこと、「心得違い」「勘違い」をしない人間であることが求められる。
 これはたいへんだと思いますよ、じっさい。(^^;)

 高みであればあるほど、谷底も深い。
 吊り橋などで足がすくんでしまった高所恐怖症の人には、「下」を見るな、というアドバイスが与えられますよね。
 高みを許される人は、上、または前だけを見て、谷底を振り返らない人なのかもしれません。
 谷底があるのを知らないわけではないし無視するわけでもないけれど、視線を上へ向けていられる。
 それはとても、勇気のいることではないでしょうか。

 だれだって、高さを意識すればつい、足元(下)を見たくなりますよね。
 それでもあえて視線をうえに、あるいは前に、向け続ける。
 
 私には、これだけで、たいへんな偉業に思えます。


 ただ、いちファンとしましては。
 高みにいようと谷底にいようと、あの「音」が聞こえているかぎり、場所は問題じゃないのです。

 すごいね、といいながら、本当の意味でふるえる思いがするのは、高い低いの場所のことではなくて、この音が鳴り続けている、そのことだけなんですよね。
 どこまで行くのかはわからないし、それはご本人たちの願うようであればいいと思いますが、この音がありさえすれば、ファンというものはじっと耳を傾けつづける。

 視聴しながら感じていたことは、そんなことでした。


 掛け値なしに、とりとめのない寝言ばかりとなりました。
 長々駄文で、失礼いたしました。m(_ _)m
 
  
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