Entries

産めよ増やせよ地に満ちよ


「2人出産が仕事より価値」発言全文 学校Webサイトに一時掲載 校長「誤解招かないよう掲載」
2016年03月14日 09時11分 更新 IT Media ニュース

 この校長先生のご発言にのっとると、私も「女性としてもっとも大事な」ことをせずに一生を終わる人間なので、ちょっとものが言いにくいところがあるのですが、ま、それはそれとしても、なにがいかんのかな、とあらためて考えてみました。
(ちなみに、その義務未遂行の件につきましては、私個人に限っては、私が無事60歳定年を迎えました際には、私に毒杯をくださってようございます、と思ってます)


 ある発言なり文章なりの一部がへんなふうに抜き取られ、発言主旨からぜんぜんあさっての方向にもっていかれてしまうというのはよくあること。
 ゆえに、「誤解のないように」ということで、「一時」、校長先生のご発言全文がウェブサイトに掲載された由(よし)。
 そんなら拝見しようかと思いましたが結局はその後、取り下げられているとのこと。そりゃ残念。

 上記の記事はあくまでもその全文を読んだ人による「要約」ですから、完全な全文とはやはり、ニュアンスの異なるところもあるかと思います。

 とはいえ、最初に報道されたものよりは、発言の主旨を汲んでいるものと思われますので、そういう前提で申しますと。

 一見、まあふつうというのかまともというのか、そういうことのように思えますね。
 でも、やはり、問題とされた「感触」は残っている。
 なんでだろう? と何回か、読み返して考えていたんですが。

 結局はアレですね。「なにがその人にとっての最優先事項、または、幸福となるものなのか、他人が勝手に決めつけんな」ってことですね。(^^;)

 この校長先生の意識には、「人間には誰でも、自分なりの良心がある」ということが、入力されていないんでしょう。

 ある一つの価値観や、あるひとつの場面、状況、環境において、「これがいいことだ」と、ご自分が思ったことが、すべての人にとってもいいことである、という考えでいらっしゃる。

 全文だろうが抄録だろうが、その考え方にたいする反対は消えない。
 だから「これは問題だ」という感触も消えていない。
 そういうことのようです。

 問うに落ちずに語るに落ちる、——無意識に選んだ言葉に自分自身さえ気づいていない、自分の「意識」が映る。
 じつのところ、そっちのほうが怖いなとあらためて思いました。(^^;)
 かっこつけても考えても、ある瞬間に、自分の「本性」が言葉にあらわれてしまう。
 でも、他人にはそれが丸見えなのに、本人はまるで気づいていなくて、「は?」と言ってしまい、またそこでさらに怒られる。

 自分がなにを内側に持っているのか、自分ではなかなか、気づけないもんですよね。
 実社会で他人様とぶつかりながら気づくこともあるし、——でもそれだとシャレにならない「実害」を、自分にも他人にも与えてしまう可能性もある。
 となると、自分で自分をじっくり観察する、内省、というものがあると、そのショックも和らげられるでしょうけどね。

 校長先生の、産めよ増やせよ地に満ちよ、というお考えはまあわかるし、それもまた人を満たすものだとも思うし、それは女性だけが負う「負債」ではないというお考えも、まあそうですよねえ、と思います。

 ただ、多くの人が反発したのはそういう言葉の上っ面の部分ではないんですね。
 言葉が生み出された「根」が、「それがお前にとっての幸せなのだ」という、他人への勝手な決めつけや押し付けだということ、そのことについて反発を食らった。そういうことでしょう。

 面白いもんですね、発言者は自分がなにを言ったのかわかってないし、わっとばかりに反発した側も、自分がなにを問題にしているのか、意外とわかってなかったりして(笑)

 反発していたはずが、この要約を読んで、あれ? そんなにおかしいことは言ってないのかな? と思ったのであれば、そういうことになります。

 でもなかなか、言葉の「根」にまであたっていくのは難しい。これはそれこそ人の内心に触れることなので。
 無遠慮に無神経に、乱暴に扱っていいことではない。

 世の中には、本当に、ただたんに、言葉の使い方がわかってないから「誤解」される、という、スキルの問題だけって人もありますし。
 ただ単なるスキル不足にすぎないのかもしれない、ということも、反対者は念頭においておく必要がある。

 現象としては面白くもあり、難しくもあり。

 ともあれ。
 今回問題だったのは、発言が抜粋されたから「誤解」されたのだ、だから全文を見せればいいのだ、ということではなく、言葉の奥に横たわる、考え方そのものにあった、——という見方に変更はございません、てことで。

 
 現在からこの先は、世の中は、「人それぞれがもつ良心にとって、いいように」という方向にしか、進んでいかないでしょう。
 そういう「変化」も、この校長先生のような人も多いからそう順調にはいかず、1歩進んで2歩下がるということもあるでしょうが、それでも。

 あるひとつの価値観だけですべての人間を縛ってきた、そういう「時代」は、もう終わってる。
 良心は、エゴではありませんから、各人各様に幸福であることは、摩擦も問題も起こさない。
 それぞれが身勝手なことをいうエゴのぶつかりあいとは、まったく異なる次元のお話なんですよね。

 でも、それもなかなか理解されないでしょうし、エゴというのはようは「恐怖」ですから、まあ、しぶといだろうな、とも、思います。

 それでも。
 誰かが勝手に他人の人生を決める、ということは、もはや「正義」ではなくなっている。
 それだけは確実に言えることじゃないかな——と思って、こちらの記事ならびに要約を拝見しました。
 
 
関連記事

ご案内

プロフィール

みずはら

ブログ内検索

最新記事

地球の名言

presented by 地球の名言

右サイドメニュー

月別アーカイブ