猫の教え

 猫を飼い続けて、ふと気がついてみたら、30年超。
 とはいえ、「飼う」という意識はかなり希薄で、向こうが勝手にうちに住み着いた、といったほうが実感には近いですねえ。

 ご近所さんが飼っていた猫が「家出」して、なぜかうちに来ては中に入れろ入れろとせがみつづけ——もう冬の気配も濃くなった11月末、根負けして家に入れたのがそもそもの始まり。
 もとの飼い主さんも最後にはあきらめちゃって(もちろんウチが誘拐したなんて誤解はされてませんよ;;)、それでそのままうちで世話をすることに。
 
 猫はあえて飼う飼わないというのではなくて、向こうから勝手に「くる」もの、というお話を聞いたことがある……と思うんですが、もしかしたら記憶違いかもしれない;; でも私の実感としても、猫は勝手に押しかけてくるのでした。捨て猫を拾うというパターンがいちばん多いかな。
(個人的には猫を捨てる人間は全力で呪ってやりたい気持ち。やらんけど)
(親猫が、この子は育たないといって見捨てた子猫を拾ったこともありますが、これはまあ、自然のことではある)

 猫を飼うなかで勉強したことは多くあります。
 心にいちばん強く根付いた「教え」は、「死」というものとの「つきあいかた」だと思いますね。
 現代の日本人はこれをあまりにも、特別の、あるいは「非日常」にしてしまった、と感じます。
 それを気づかせてくれたのは、来ては去っていく猫たち。

 あとはなにより、猫と付き合うと身につけていかざるを得ない「教え」がありまして。
 それは、「適度な放任主義」。(^^;)

 猫は、およそ、人の思い通りになんぞなりません。
 猫飼いの人なら絶対わかってくれるこの現象——、よかれと思って、あるいは喜んでくれると思って買ったごはんやおもちゃが、ぜんぜんウケない、というあの落胆(笑)
 値段の高い安いは猫の知るところではないとはいえ、ちょっとヒドイ、と思わず人間が涙目になるくらい、冷淡で薄情な態度をとられた——、これを経験していない猫飼いさんはいないはず(笑)

 こうであってほしい、こうなってほしいという気持ちや、きっと喜んでくれるはず、こうすべきである、というこちらの思い込みや期待になんて、彼らは無関心。
 
 でも、それでいいんですよね。

 こちらの期待や希望はそれとしても、だからってそれを「押しつけ」てしまっては、愛情表現ではなく、ただの迷惑行為にしかならない、ということを。
 猫との付き合いで、学んでいくんですよね——人間の方が。(^^;)

 猫は猫で、人間の生活ルールをある程度は覚えるし、彼らは彼らで「人間に譲っている」ところも、我慢しているところもある。

 たぶん、相手を自分の思い通りにしたいという欲求が強い人は、猫とは付き合えないんじゃないかな、と私としては思ってます。
 猫は勝手気ままだといわれますが、私に言わせれば、人間の方が「自分の思い通りにしようとしすぎる」んだと思う。

 猫でも人間でも、そのあたりは同じことだと思いますね。

 自分の腹のなかをじーっくり眺めてみてほしい。結局、(それが人間でも猫でも)相手が自由に、本当に心から、楽しんで、あるいは喜んでいる姿は、自分にとっても喜びになるもの。
 自分としては、ああしてほしいこうあってほしいというのも、そりゃあるでしょうし、これはこれで自然で、無理に押し殺すべきものでもありませんが。
 それはそれとしても、でも、突き詰めれば、相手がほんとうに喜んでいる姿をみることが、いちばん気持ちを満たしてくれる。

 自分の感情でありながら、このあたりはなかなか、気づけないことが多いですけどね。
 なにしろエゴというものは、この感情に蓋をしてしまいがちなので。

 硬く閉じられたエゴの蓋の下で、それでも、この感情は消えることはない。
 閉じ込められていても、そこでわきたっている。

 あんたがたはなかなか哲学的だよねえ——、と、寝ている猫に話しかけてみたり。

 勝手と言われる猫ですが、それでも彼らは彼らなりに気を使うものです。
 どうにもこちらが落ち込んでいるとき、ふだんは、人に触られるのなんてイヤという猫が、そっと側に寄ってきて、おもむろにごろりと横になり、お腹を出して、「モフってみる?」とちらりとこちらの顔を見る——そんなときもあります。
 猫をもふもふすると幸せ♡になるというのを、ちゃんと承知しているんですよね。
 この情の深さ。たまりませんよこれは(笑)
 
 ま、概して猫バカというのはこういうもんだ、という馬鹿話でございました。(´∀`*;)ゞ
 
 
 
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