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是非を問わず



 拝見してなんだか懐かしい気持ちになったのでつい。(^^;)

 あんまり他人のことをとやかくいう趣味はない、という傾向と、自分は大しておしゃべりのタチではなく、人が話しているのを聞くほうが気楽、というところがあるせいか、若い頃にはなぜか、こういう話をよく聞かされてまして。
 いや、なんか変なふうになつかしい(笑)

 不倫経験のある人、只今絶賛経験中の人が話すなかに、ちょいちょいと感じるちょっと居丈高な感じ——いまの言い方なら「上から目線」て感じでしょうか、それが混ざってくるのは私も感じていたことですが、あれは——「自分は一般的ではないことの経験者である」という意識からくる、「他人よりも社会を知った」意識——アンタよりアタシのほうがものを知ってるんだという意識だったのか、ななるほど。と。
 思いました、こちらのツイートを見て。

 私は、でも、そういうのあんまり気にしなかったなあ…。なんかいま軽くカチンときたぞ、と思いながら、そのままスルーしてましたので。

 あまりにも私がぼーっとしているのを見かねて、いろいろ「教育」している、そういう気持ちも先方にはあったからかもしれません(笑)
 耳の穴に性教育の文言を流し込んでくれた「恩」は忘れてないよ(笑)
 それらはありがたくハイハイと拝聴してましたんで、多少、アタシのほうがアンタよりエライのよ、という態度を取られても、気にするほどのこととも思わなかったな。(^^;)

 こういう人全員がそうだとは思わないですが、でも、少なくない人数、不倫なり水商売なりで、世間からはいささか虐げられることがある人は、なにかを「身構えている」ことは、理解してあげてもいいように思います。

 高飛車な態度の裏にあるのは、「叩かれ負けまい」とする気持ち。
 負けまいという気持ちの底にあるのは、人から認めてはもらえないことへの悲しみ。

 ご商売のほうはともかく不倫ということであっては、人から認められないのは致し方のないところも多く、それはもちろん、自分でもわかってる、納得もしてる。
 でも、悲しい、という気持ちは、そういうこととは全く別問題なんで。

 その気持ちは汲んでやってもいいんじゃないかな。少しでいいから。

 不倫そのものを認めるわけではない。
 でも、どんな人でもなにかしらの「汚れ」を持つもの。まるで天使のように綺麗な人間がいるとは思えないし、そういう人はそもそもこの世には生まれてこないし生まれてきてもさっさともとの世界へ帰ってしまう。
 私はそう考えておりますので。

 汚濁とわかっていながら汚濁を抱えたままでいる。
 その汚濁のせいで自分が人から嫌われるのも認めてもらえないことも、当然のこととして受け入れている。
 でも、そのことへの、悲しい、寂しいという気持ちがあるのは——これは、人としては致し方のないこと。
 その気持ちは、「お互い様」ではないでしょうか。

 とにかく私もいっときはそんな「汚濁」の話ばかりを聞かされる羽目になりましたが、いまにして思えばそれは、わかるとも認めるとも素晴らしいとも、いいことは何も言わないにせよ、彼女たちを「責める」ことはなく、ふむふむと話を聞く人間がほかにはあんまりいなかったからでしょう。

 人は誰かに話を聞いてほしいんですね。

 すばらしいなんて言われなくてもいい。
 ただ、批判せず裁かずに、話を聞いてほしい。

 それは誰にでもある「気持ち」じゃないですか。

 高飛車な態度の底にある「気持ち」を、もう少しだけ、無視せずにいてくれれば。
 同じ話を聞くのでも、相手の態度もそのうちには変わってきますよ。
 
 ことの是非はいわなくてもいい。
 世間様はこの是非を言いすぎるんだ。
 言い立てるだけでなんの手当てもできないくせに。えらそうに。

 是非をいわず、気持ちにだけ焦点を当てて話を聞けば。
 ちょっとずつ、人の心も変わるんだけどな、と。

 そんなことを思い出したツイートでした。

       ※
 
明日、明後日の2日間、こちらお休みします。
ツイッターはいつもの調子でやっていると思います。(^^;)
 
 
 
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