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2016.03.12 (Sat)

泥沼

 数年間ものあいだ積ん読にしていた、福岡伸一先生のご著書「できそこないの男たち」を読んでますが、佳境に入っております。
 ここまで読んでつくづく、このタイトルだといろいろ誤解されるよなあ、と。(ー ー;)

 中身は真面目〜な、生物学の——ヒトゲノムのお話なんですよね。面白いです。
 読了したらまたあれこれ書いてみたいですが(書評というようなものではない;;)。

 興味は持ちつつなんとなく気持ちが重くなって手が伸びなかった理由は、やはりこのタイトルがどうもね…。
 どういうわけか、まだほんの子供の頃から、性別の話をされるのがあんまり好きではなかったのですが、男権主義であれ女権主義であれ、ああいうのがもう、うっとーしくてなりません。
 とにかく見たくない聞きたくない関わりたくない、という気持ちがかなり強いため、「そういう」話を想起させるというだけで、本のタイトルにさえ、憂鬱な気分になっていた——とは、けっこうな重症かもしれない。

 私から見るとフェミも伝統主義者もおんなじで、なにがそれほどに鬱陶しいかというと、彼らは結局は怨念の沼から出てこないから。

 基本的にネガな感情って嫌なんです私。

 好きな奴はいない、といわれますが、そんなことはない。私の見るところ、みなさん、ネガな感情、大好きでいらっしゃるじゃありませんか。
 その泥沼に自ら全身浸かって嬉しそうに殴り合ったり罵り合ったり足を引っ張り合ったりしてる。

 はなはだ迷惑であると思うのが、その泥沼に他人を引きずり込もうとするところ。

 誰だって最初は、そんな悪臭を放つ泥沼に入りたいわけはありませんから、引きずり込もうとする人はいろんな手段を用いますね。
 脅したりすかしたり、不安感を煽ったり、恐れを増大させたり。

 なかでもいちばん悪質だと思うのは、「正義」をかかげ、これが「正しい」ことなのだ、ということ。
 
 なにしろ私どもは子供の頃から「正義の味方は、人類最大のタブー殺人さえ犯しても美しい」というイメージが刷り込まれていますから、正義、大好きです。
 正義であれば、自分のどんな欲求も正当化できる。
 そういう、人間の暗い感情を刺激しては泥沼に誘い込む。

 勘弁してくださいそういうの。

 ここでは性別闘争の話になっていますが、ほかの話題もみんな、このへんの構造は同じです。
 
 怨念は、必要ないものです。

 よくもまあそんなところに長々と全身浸かって気持ちよさそうにしてられますね、というのが、私の「感想」です。
 彼らのおかげで、正義というものが、私は大っ嫌いになりましたよ。(^^;)

 言いたいことや求めるところというのは、誰にでもあるものでしょうが。
 なぜ、そこでいちいち、怨念の沼につからなければならいのか。それが私にはわからない。

 まあ私は好みじゃないけど、あの泥沼が大好きというひともあるんでしょう。好きにしたらええがな、というところですが、とにかくお願いしたいのは、その汚い沼にはまることを「当然」とし「正義」とし、泥沼に浸かる「べき」だつって舟幽霊みたいなことはしないでもらいたい。
 迷惑です。

 とまあそんなわけで。

 本来なら、福岡先生のこのご本も、とっくに面白く拝読していたはずなのになと思ったとき。
 どれほど自分がああいう泥沼を嫌悪しているかも、ふと、実感されたんでした。

 泥沼から出る方法としては。
 許すこと。

 許す、というと顔色を変えて怒る人がいるんですが、いえべつにそんな大袈裟に考えるようなことじゃなくて、よーするに「もういいわ」といって執着するのをやめるってこと。それだけです。

 許すというとなにか寛大な感情を与えることだと思われるようですがそういうことじゃない。
 自分の心を守るために、もういいわこんなもの、といって、そのつかんでいる手を離しなさいよ、と、それだけ。

 怨念の泥沼。

 抜け出せとはいいませんが、せめて、お前も浸かれというのだけはやめていただきたい。
 なにごとについても、です。
 
 
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