ものの言いよう
2016年03月06日 (日) | 編集 |


 どこにも出かけず人にも会わない静かな日曜日だからヒマしてるだろうと思われるかもしれませんが、家にいるとなればなったでなにかと用事ってやつはあるものでございます。
 しばらく掃除していない場所を掃除するとか。(^^;)
 時間けっこうかかるので。

 そういうこともあって、土曜日曜なんてのは、わりと穏やかな、どーでもいいくらいの小話にしておくのが望ましい気もしますが、ちょっと思うところあって、上記ツイートを引っ張ってきました。

「バカと基地外は声がデカイ」というのは私の持論のひとつ。
 話の内容ではなく、その騒ぎ方で人目を引こうという意識なんでしょうね。無意識か、計算の上かは知りませんが。

 ああいうのは声がデカイ分だけどうしても目立ちますし、となると、世の中ああいうのがむしろ標準なのかと思ってしまうかもしれませんが、そうではない、ということは、よくよくご承知おき願いたいです。
 仮にああいうのが「大多数」だとしても。
 あなたまでもが、それに「合わせる」義理はない、ということを、ご確認ください。

 誰かになにかを伝えたいとき。
 なんとか話を聞いてほしいとき、人はあんなに大騒ぎするでしょうか?
 
 相手のところへ行って目を見て、相手に(可能な限り)嫌悪感を持たれないように注意しながら、自分が伝えたいことを言葉を選びながら、相手がどこまで「わかって」くれているかを確認しながら、慎重に話しますよね?
 
 それをしないで、まず罵声で他人をぶん殴っておくのは、ご本人のストレス発散に過ぎないんだなと思われるだけです。

 目的はなんですか、ってことですよね。
 人にちゃんと伝えたいのか。
 それとも、ただストレス発散したいだけなのか。

 前者はコミュニケーションであり、後者はただの(一方的な)馬鹿騒ぎです。へたすりゃ通報されますよっていうね。(^^;)

 なにかあったとき、問題解決したいと思ったのか。
 それとも、ただ泣いて喚いてストレス発散したいだけなのか。

 そのあたりをまず、見極めてほしいと思いますね。
 頭にきた、というときに、他人に当たっても、なーんの意味もない。
 頭にきたとき、ひとまず壁を蹴飛ばすとかクッションをボカボカ殴るとかはしますが(……します;;)、それでいちど感情を解放してから、人に話すようにしたほうがよろしいでしょう。

(でも壁を蹴るのはやめたほうがいいですね;; それでいちど穴を開けそうになったことが;;)
(あたしの脚力なんてたいしたことないと思ってたのに;;)

 感情は抑圧しないほうがいい。だからクッションを殴るなどして解放したほうがいい。
 けれどもそれは自分の内部事情であり、ここで他人をクッションにしてはいかんよ、ということですね。

 私がちょっと不快に思っているのは、こういう、まずは大声で騒いで他人を「罵倒」するところから入るのを「当たり前」のことだと思っている、ってあたり。
 必要ないことですよ。罵倒は。
 というより、罵倒されたほうはあなたをどう思うでしょう? 「そう」思われた状態で、まともに話を聞いてもらえると思うほうがおかしいのでは?

 とある国では、泣いて喚いた子供のほうがお菓子をもらえるというような主旨のことわざがあるそうですね。
 これは「まとも」な考え方ではない、ということを、念を押しておきたいと思います。

 本当にきちんと話をして交渉していくのであれば、必要なのは冷静な頭脳と言葉であり、地面のうえにひっくりかえって大泣きする子供などは、叩き出されるのが本来だということ。

 主張するということは、「怒る」ことではありません。
 主張するときは「誰が聞いてもわかるように」、冷静に、自分には品位を、相手には敬意をもった態度が「必須」。
 ただでさえ利害関係が絡むと話がややこしくなるというのに、泣きわめくガキでは、文字通り「話にならない」わけですから、もしもその人の目的が、ストレス発散ではなくて「伝える」ことだというのなら、自分で自分の首を絞めていることになる。

 でも、いまの世の中はどうしても、大声で騒ぐバカのほうが目につくから、主張するとはああいうバカを晒すことだという認識ができてきちゃっているんじゃないかなと。

 そうなりますと良識派は、あんなことはしたくないな、と思いますよね。それで、バカが集まる場所を敬遠し始める——これは無理もないことです。
 で、現在、政治はそういう場所だと思われているのではないかと。
 それが私の懸念するところ。

 この保育園関係の問題については理解するが、でも、こんな言い方でなにを変えられるというのか、と思っていたところでした。静かに指摘する声もあったということで、ちょっと注目してみました。


 いうべきことは明瞭にいう。けれどもあくまでも品位をもって。
 この態度は必ず実現できることです。そうでなければ結局、自分の希望するような話し合いに、そもそも持ち込めない。

 これは本当に、知力体力忍耐力が要ることですが、不可能ではない。
 そういう認識のほうこそ、社会常識になってくれるように願っております。
 
 
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