それも相性
2016-03-04(Fri)
おふがお @Offgao のブロックの歴史
— コイタロウ (@Koitarou20) 2016年3月3日
2012年→いつものクセでフォローしようとしてブロックしそうになる
2014年→ブロックしすぎの影響でブロック機能壊れる。ブロックチェッカーもエラー
2015年→ブロック数1004147人 pic.twitter.com/WTkboPQUKO
またツイッターの話かいと嫌がられる気もするんですが。(^^;)
嫌がられるってことはないかな。そうだといいな;;
ツイッターにはブロック機能というものがありまして、ようはもうおつきあいしたくない、顔を見るのもイヤという場合、その相手とのコンタクトをいっさい断絶する、というものがあります。
フォローしたりされたりできませんし、ツイートは(直接のものは)表示されません。
ただ、相手には、こちらが相手をブロックしたことはいちいち通知されないのですが、相手がこちらをフォローしようとした場合、「ブロックされているのでフォローはできません」というメッセージが表示され、そのときにはバレます。……バレますという言い方もおかしいかもしれませんが。(^^;)
私はブロックというのはよほどのことで、そうではない場合は、通常通り、フォローを解除したり、ミュートといってツイートの表示を止めるだけでじゅーぶんだと思っております。
しかし数あるユーザーのなかには、じつに気軽にブロックをする人もあるようで。
そういう話は聞いていましたが、上記の方はまた特別ですね。(^^;)
データをとりにいくアプリがエラーを起こすほどのブロック数って(笑)
フォローさせてもらおうと思ったら、「ブロックされてるからできないよ」と言われると、それはショックでしょう。
ブロックされたということは、なにかしら相手の感情を害したはず、と思うのももちろんもっともなことではあります。
が。
案外こういう気楽〜にしておいでの方もいるし、こちらからすればたとえば意見が合わないからブロックされたのを、そうまで自分が悪いことをしたと自責の念にかられる「べき」とも思えませんね。
そんなあたりをあらためて教えてくださったツイートでした。
なんにしてもすごいな! とは思いましたが。(^^;)
ここまでくると発想を逆回転させて、
「目障りなアカウントをブロックする」
のではなく、
「自分がおつきあいしたい人だけ接触する」
ようにすればいいのになと思いますね。俗にいう鍵垢にする——つまり非公開のアカウントにする、という。
とはいえこの鍵付きにするとさすがに、自分自身にもちょっと制限となるところもありますし、褒められた話じゃないし法律には触れなくても道義的にはどうなのよということもありますが、鍵垢のツイートを覗き見られることも、ないわけではないですし、そうなると鍵付きの意味もあやしくなります。
自分自身に負荷を(あんまり)かけず、でも、おつきあいするのは限られた範囲でいい、ということなら、そういう人にはツイッターよりもFacebookのほうが向いているでしょう。
私はあのFacebookはどうも苦手で。(^^;)
ネット上における個人情報の保護なんてものはもうぜんっぜん信じていないので、情報を出すのがそもそもイヤだな、ということが、まずあります。
おまけにFBは、登録した情報を使って、「この人、あなたのお知り合いじゃないですか?」などと言う。
あれには、どうもいまだに抵抗があります。……ホントに問題ないんでしょうかね、あのやりかた。
いつぞや、
「Facebookは、私たち友達よね! というのが前提のシステムで、ツイッターは私たち他人よね! が前提になっている」
というツイートが流れてきて、ああ、それだと思いました。
ツイッターは匿名だし、個人情報を出せ出せと言われることもない。
私も公開アカウントにしておりますが、人との接触の範囲は広いですが、関わりを持ったからって、付き合いを「深く」する「必要」はない。
広く浅く、つながりはあくまでもゆるく。
この感じがあっているようです。
面白いと思えば耳を傾け、これはちょっとお互いにチガウなと思ったら、そっとフォローを解除したり「消音」したりする。
それだけでいい。ゆるやかなもんです。
このゆるやかさ、あるいは「広さ」が鬱陶しいからと、あれはイヤこれはイヤとブロックしまくるくらいなら、ツイッターはおやめになったほうがいいかもしれませんね、
入口は狭くしてあって、ボディチェックも厳重にして、「入りにくい」状態になっていて、で、なかへ入った人同士は、比較的親密になれる——という、Facebookのほうが向いているんじゃないでしょうか。
SNSも現在はいろんなものがありますが、そんなふうにしてだんだん、自分自身の特性や傾向、望んでいるものがわかってきたら、自分にあったものへ移行する。そんなことがやりやすくなっているんじゃないでしょうか。
私は目下のところはツイッターのゆる〜い感じがあっているようです。
TLを追いかけきれないのが残念だなと思うときもありますが、見ることができないときは、それはもう「ご縁がなかった」ということであきらめる——そういうことも、大事なことだなと思うようにもなりました。(^^;)
執着しない、ゆるやかに、「流れ」はそのままに。
こういう態度、けっこう好き。
その「ブロック魔」ぶりに驚きながら、SNSもまた人間と同じように、ユーザーの性格との相性があるのかもな、と、ちょっと面白く感じました。