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山川草木悉皆成仏

 今日から3月。
 11月下旬〜2月下旬は、季節性うつの危険を抱えながら慎重に進んでくる感じですが、3月になりますと、まあ寒い日は寒いですが日差しはすっかり春だし、花も咲き始めるので、ここでやっと目を覚ます、という感じがします。
 嬉しいねえ3月。あさってはひな祭りですよ〜。今年こそはちらし寿司、自作したいんですがどうなりますか;;




 思いやりというものにも、積極的なものと、消極的な態度のものがある、ということでしょうか。

 たしかに、そっとしておく、触れないでおく、ということも、必要な思いやりということはありますよね。
 もしかしたら、積極的態度の思いやりより、こちらのほうが難しいかもしれない。

 相手は何も言わないし、恐らくは、事情を明かすこともないし、つらそうなようすをさえ、気丈に隠している、というとき。
 なにも聞かなくても、ただ、「なんとなく」でも察して、黙っている、声をかけない、そっとしておく、
——というのは、けっこう高等技術ですよね。

 そういう思いやりを持つことも必要だよなどというと、事情も知らされない相手もなにも言わないのに、どーやってそんなことをやれというのか、と、噛み付いてくる方もいらっしゃいますが。
 わかったわかった。だったらアンタは他人からぶしつけなことを言われても「この人は自分のことはなにも知らない人だから」つって許してやれるな? なんでああいう無神経な奴がいるんだろう、なんて怒らないよな? 「思いやりがない」人を批判なんかしないよな?
 ……と言った途端に黙るんだよねえ。(^^;)

 悪気はなくても、タイミングが悪い、間が悪い、ということはあるもので、たったいま、そのことに傷ついて精神的にボロボロというひとに、触れてはならない話題を振ってしまう、ということはあるもので。

 そういう、不測の事態、出合い頭の衝突事故、みたいなことを避けるのには、「相手の顔色をみて察する」思いやりもさることながら、日頃から、「他人のことをとやかく言わない」精神と態度を養うほうが、確実かもしれませんね。

 道徳の授業とかでどうのというのは、私個人は賛成しませんが……、まあ、そういうことを大人がいっさい教えないよりはいいのかなあ。

 思いやり。か。
 これはなかなか玄妙なものですね。
 べつに教育なぞされなくても、生来、自分でできてしまうひともいるし、もうどんなに教え諭してもまるっきり、理解もしないという人もいるし。

 思いやりのつもりでかえって、他人様を傷つけてしまうこともあるし。
 このあたりは、コミュニケーションとしての「スキル」の問題かもしれませんが。

 なにも言わず、放っておくというのは、「腫れ物に触る」ような態度とも違うので、それは確認しておきたい。

 相手がなにも言いださないことを、こちらからずけずけ踏み込むのは論外ですが、だからって、相手がほんのすこしの「信号」を出してきたら、そのときはもう、へんなふうに「避ける」のも、望ましいことではないでしょうね。

 精神的にめためたになっているときに、腫れ物に触るような扱いをされるのも、案外、疲れるものなんですよね。
 ああいうときは、「ふだんどおり」「通常となにも変わらない態度」でふつーに接してもらえるのが、いちばんありがたかったりする。

 適宜、という言葉がありますが、そのときどきの状況と相手のようすによって対応を柔軟に変えていくことが望ましいんでしょう。
 これはある程度は、経験と「習熟」が必要になることなので——最初のうちはなかなかうまくできなくても、だんだんに覚えていけることだと思います。
 また、そういうことを心がけながら生きていくのは、自分にとっても財産となってくれることだと思いますね。
 
 なにしろ先日は、世の中の何もかもに対して悪意しかない、という、人外の「魔」の心理を覗き見してしまいまして。
2016/02/17
 生きながら魔に落ちた、人の形をした化け物の心理には、さすがに私も怖気(おぞけ)を震(ふる)ったあとなので——こんなお話をしてくれる方をお見かけして、ちょっとホッとして、つい、引っ張ってきてしまったという次第。(^^;)


 ああいう人外の魔性と、こういう仏性(ぶっしょう)とが、混在している場所。それがこの世というものなんだなとあらためて思ったり。(^^;)
 どうしてもこの場所にいなければならないのなら、仏性のほうにより多く、出会たいもんです。はい。
 
 
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