「3月のライオン」11巻
2016年02月29日 (月) | 編集 |


 ……といちおうエントリのタイトルはそう書いてみたものの。
 これたぶん、正確には、3月のライオンの「感想」ではないと思います;;
 そこから触発されて考えたこと、ということで。たぶん。

 はっ。でもでももしかたらネタバレになっているところがあるかも?
 ということで、未読かつネタバレ却下、という方は、本日はここまで。
 失礼いたします。m(_ _)m

        ●

 こうしてみると我らが桐山くんは本当に成長してるなー、としみじみ。
 まだお酒も飲めないヒトなんだった、とあらためて気がついた今回でした。(^^;)

 感想と言えるものかどうか怪しみつつ申しますが——、あかりさんが、お父様について言っていたのは「演技性人格障害」ってやつですね。
 人格障害は、病気ではありません。
 病気ではないからいいのかといったらそうではなく、病気ではないので「治らない」わけです。
 一生。
 死ぬまで。
 この世で呼吸をしているかぎり。

(追記:いちおう演技性パーソナリティ障害にも治療法があるようです。……本人が治療が必要だと思ってくれるようなら、それだけでマシなほうでしょうね;;)

 このお父様もまた、人間のクズといってしまっては、あまりにも、屑(くず)に対して失礼だというくらいのクズ。このクズとはちょっとばかり守備範囲と行為が異なるというだけで、おおむね同種の人間を知っている身としては、今回のお話には、しみじみ以上のものがありました。

 この種の人間と手を切るというのは本当にたいへんなことでして——今回のお話のように、追い払っても追い払ってもつきまとってくるのが常なんですよね。こちらになんらかのメリットがあると思われているあいだはどうしようもないのです。ゆえに、手を切りたいなら、そのメリットを潰すしかない。

 しかし、その「メリット」を潰すということは多かれ少なかれ、こちらもまた、自分自身のなにかを切り捨てることが——それこそ、腕の一本も切断するくらいのことが必要になる。
 つらいことです。
 でも、あかりさんも、ひなちゃんもやり通したんですね。偉かったね、と思います。

 いちばん考えてしまったのは——あかりさんのこと。
 自分の体をつぶすことで、やっと「全部 終わりに」できたけれど、文字通り、力尽き果てて倒れてしまったというのは、無理からぬこと。
 ただ自分の身をつぶしただけではなく、彼女の場合、「自分を責める」ことが最大の重荷でした。

 家族うちのことだけではなくて、なにか思わしくない事態に遭遇したとき、力を尽くしても避けえない結果になったとき。
 自分が役に立たなかったから、自分に力がなかったから、自分が悪かったから、と、自分を責めてしまう。

 あかりさんも同様ですね。
 あの親父がクズなのは本人の責任なんであって、あかりさんにはなんの責任もない。いやらしい言い方をするならあかりさんはむしろ「被害者」でしょう。
 それでも、自分が役に立たなかったからこんなことになったと自分の罪として引き受けてしまう。

 どうしてでしょうね。
「いい人」ほど長生きしない(憎まれっ子世に憚る)のは、こんなあたりが原因だろうな;;

 大きな事故があって、救助にあたった人たちの多くが、後日、自分はもっと助けられたんじゃないか、自分はなにかを「間違った」んじゃないか、助けられる人を助けられなかったのではないかと自分を責め、罪悪感に苛まれることがありますね。
 これもいわゆるPTSDの症状、というのはわかるとしてもでも——ものの理屈で考えれば、まったく違う、そうではない、むしろそんなことで責任を感じる方が「まちがっている」くらいのことが、なぜ、人の心には起こってしまうんでしょうね。

 PTSD の現れ方もそれぞれですが、この、「まちがった」罪悪感を持ってしまうというのは、あまりに悲しいことだと感じます。

 この罪悪感というのは目に見える「症状」を見せることなく、ただ心の深いところで、癒されることのない傷となることが多いようです。
 時間をかけてゆっくり、でも確実に生命力を削いで、——ある日気がついたら重度のうつ病になっていたということも、多くある。

 あかりさんの今後がちょっと心配だったり。(^^;)
 桐山くんが「あかりさんに必要」と思ったものについては基本的には異論ないんですが、——「入れ物」は用意できても、「コンテンツ」は、こればっかりは、人間の意図だけではどーにもならないものだったりしますからねえ……。
 がんばれ主人公(笑)

 あとがき的に巻末に書かれたコラム、作者の羽海野チカさんがおっしゃる「成長」も、そのとおりだと思います。
 人は必ず変わっていくし成長もしていく、それでいて「三つ子の魂百まで」という(変わらない)こともホント。
 この一見したところでは矛盾に見えるものを、なるほどきれいに「図」になさるものだと感心いたしました。

 真顔モードは以上で切り上げて、先崎 学先生のコラム、これからじっくり拝読します。楽しみです(笑) 
 
 
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