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現代版「もののあはれ」

 日本語の「かわいい」は、(たとえば英語の)pretty とか cute とかというのとは全然ちがう概念なので、訳語として使うことはできない。
 かわいいはかわいいというしかない。
 ——と、力説している英語ネイティブの外国の方をお見かけしたことがありまして。しかも2回。

 具体的に考えてみれば、まあそうかなあ。と。
 たぶん、pretty(もんのすごく大雑把な捉え方ですがbeautiful に近い)や、Cute(赤ちゃんのような、小さい、幼い可愛さ)の意味も含みつつも、でも、キモカワイイ、などという表現から考えると——あるいは、高校生の女の子が、いい年をしたオジさまの、とある状態を見てカワイイ、などというのを考えると、なるほど意味が広い言葉だな、と。

 かわいいと言われて怒り出す殿方もいらっしゃいまして、こちらとしては褒めているのに、なんであんなに怒るんだろう、そんなにかわいいと言われるのは侮辱的なことなのかね、と、こういう話につきあってくれる貴重な異性である弟にきいたこともあります。

 弟の返事も結局は要領を得ず、——怒り出す感覚に共感を示しつつも、説明しがたい、という感じで首を傾げておりましたねえ。
 ある意味当たり前に受け止めている感覚を、あらためて説明しろと言われると、どうしてもそんな感じになりますよね。(^^;)

 それほど深刻に考えていたわけではありませんが、ときどき「かわいい、とはなにか?」とぼんやり考えておりまして。

 あるとき、ほぼ日の、糸井重里さんの「今日のダーリン」で、その「かわいい」がとりあげられまして。
 うーんさすがだなと思ったのは、かわいい、というとき、「その存在が嬉しい」と感じている、その表明であるというお話になっていました。
 詳細思い出せなくて申し訳ないですが、概略、そんな感じで;;

 かわいい、というとき——通常の概念としての、造形美とか、小さいとか、保護欲をかきたてられるとか、そういったものとは懸け離れたものにたいしても、かわいい、と口走るときって、なるほど、喜びの感覚があるなあ、と。
 愛しい、という感情もふくまれますが、「その存在が、そこにあってくれて私は嬉しい」という、その感覚の表明がかわいい、であると。

 ゆえに、むくつけきおじさまにもいうし、きれいな花にもいうし、むしろこれグロテスクだよね? という雑貨にも、キャラクターにも、服装にも、髪型にも、ありとあらゆるものに「かわいい」ということができる。

 これは——ちょっとすごい概念じゃないだろうか。
 おかしとかあはれにつぐ、あるいはそれらをすらしのぐくらいの、理念であり、概念なのでは。

 などと考えていたらどうも勝手な感動を覚えたりして。(^^;)

 とするならなるほど、これはやたらには、外国語を「あてる」わけにはいかんのだなあ、とも思いました。
 あの外国の方々のおっしゃるところは正しい。きっと。
(私は逆に、その外国語のもつイメージや概念をきちんと理解できているわけではぜんぜんないから、わからないんですよねそのへん)

 かわいい、の再発見と申しましょうか。
 まあ「かわいい」ですぐれた文学作品とかがあるわけじゃないし、あまりにも日常(褻・け)の言葉、概念でもありすぎて、そんなこと、いちいち考えたり定義しなおしたりする人は、めったにいないでしょうけども。

 とすれば、やはり糸井さんのことばについての感覚は、さすがだなあと思いました。

 ——それが、そのように、そこにあることが、私の喜びとなってくれる。

「かわいい」が秘めている概念、理念はそういうもの。
 
 なかなかそこまで理解してくれる人も、仮に意味を理解しても認めてくれる人も少ないだろうという気がしますが、これは人に知られぬ大発見として、私としてはこっそり、でもしっかり、胸にとどめておくことにいたします。

(こういうことをしてるから、たまにことばの意味の持たせ方とかが世間様とはまるっきり異なってしまって、『通じない』羽目になるんですよね)
(でもそれを、ああそうわからない? 通じない? そっかーやっぱりねー、つって、ニヤニヤする)
(そんなことをむしろ喜ぶってあたり、考えてみれば嫌な性格/笑)
 
 
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