Be My Valentine
 そんなわけで本日、バレンタインデーでございます。

 もうほぼ毎年書いているので、またその話かとお思いの方もおいでかと思いますがでも、そう思ってくださる方というのはけっこう長いことお付き合いくださっている方、ということでもある…。ありがとうございます。m(_ _)m

 そろそろ耳タコかと思いますがキリスト教のお祭りってもうほとんどが、他宗教や民間信仰の「乗っ取り」でございますね。(^^;) バレンタインデーでも例外ではないようす。
 聖ウァレンティヌスに関するお話は興味深いものがありますしそれはそれでけっこうですが、おおもとのもとは、キリスト教以前、春の訪れを祝うお祭りと言われますね。

 ギリシャの神様も大勢いますがローマの神様も負けていない。
 ローマ時代には、2月13日にファウナリア Faunalia 祭、2月15日のルペルカリア Lupercalia 祭(多産と豊饒を祈願する)があり、これらをまとめてなのかどうか、ルペルクス祭となっていたのでしょうか。
 ルペルクスは古代イタリアのファウヌスとも同一視され、多産の神であり、家畜を狼などから守り、畑、森をも守る神様なんだとか。

 春となればあらゆるものの生命力が新たになる季節。新しい季節の生命と豊穣を祈る中で、人間だけが埒外(らちがい)ってことはない——ということで、この季節、人間につきましては、
恋人を欲している若い娘達が、自分の名前を書いた紙を箱の中に入れ、それを男達が引くのである。
 こうして毎年多くのカップルが生まれた
」(http://dic.nicovideo.jp/a/バレンタインデー)
 とのことです。

 私も不思議に思ってたんですよねえ…聖ウァレンティヌスについてのお話の中に「ローマ皇帝が、兵士の士気低下を恐れて結婚を禁じた」って出てくるんですが、そんなもん、なんで禁止なんかしたのさと思っていたんですが。
 どうも正確にはこの「フィーリングカップル」みたいなお祭りを、風紀が乱れるというので禁止した、というのがじっさいのようです。
 そうならそうと書けばいいのに! へんにカッコつけた言い方するからわかりにくくなるんだよ;;

 とまあそういう次第で。
 
 日本におきましてはかつては、女性から男性に求愛するなどという「はしたない」ことはできない、という概念が強固にありましたようで。
 戦後は、アメリカさんの置き土産、男女同権、選挙権の付与なんてことから少しずつ、意識も変わってきたとはいえ、それでもまだ——、そんなあたりはなかなか変化はしなかったもよう。

 おおむね、チョコレートを渡すというのはお菓子屋さんの陰謀ということでいいようですが、そうはいっても、恋する乙女たちにはありがたく、また貴重なチャンスではあったのでしょうね。
 紅き唇あせぬまに、ということで、少しずつでも確実に、風習となっていったものと思われます。

 で、現在ではもうねえ。(^^;) フェミニズムもジェンダーフリーもにぎやかなばかりか、性的少数派という方々にも少しずつでも、表に出てきてもらえるように、と、そんな動きもある中ですから、この貴重な——古代から続く春のお祭りを、女性だけに独占させておく手はありますまい。

 というのが私の考えるところ。
 ゆえに、チョコほしいなんていってないで、自分からチョコでもバラの花束でも、渡してくればよろしいのでは?

 じっさい、こういったらなんですが、見苦しいし聞き苦しいので。(^^;)
 チョコほしいというにしろ、どうせ、といういじけにしろ、そこから転じた恨み言も、バレンタインデーへの憎悪も。

 その見苦しさ聞苦しさはどこからくるかというと、自分がもらうことばかり考えていて、自分から与えるという発想がゼロ、というところ。
 古代ローマは実際、——山崎マリさんのエッセイを拝見しても——かなり「恋」にはおおらかな感覚だったようですから、そのあたりへもう、「先祖返り」するつもりでも、いいんじゃないでしょうかね。

 もらうよりも与えることを考えてみるのはおすすめ。
 もっともこれは、コドモさんにはまだ難しいところもあるとは思いますが。

 ということで飽きもせず懲りもせず、「逆チョコ」おすすめですよ! と、今年も書いてみる。

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