愛の誤用率
 いわゆる不倫といわれるものについてどう思うか、というような話題が、最近私の周辺でもよく出るようになりまして。
 ここ10年ほどはそういう話もなくて静かでよかったんですがねえ…。
 そういうことが気になるお年頃か。

 とんと縁遠い私に、そんな話題を振られるのも奇怪なことでございますよ。これは昔からだけど。
 人畜無害な顔をしているので話しやすい、とでもいうんでしょうかね。(^^;)

 俗に不倫と言われるものの、なにがそんなに非難されるべき「核心」なのだろうか、という話になり、既婚者独身入り混じり、けっこう盛り上がっているのを、ふーん、と思って黙って聞いてました。
 が、そのうち、「既婚者には恋愛の自由はないのか」という、オマエそれどこまで本気で言ってんだ、というご発言が出るにいたり、そうさのう、と。

「不倫がなぜ非難され、裁判になれば賠償請求されたり権利を剥奪されるのかってのは、それが重大な契約違反だからでしょ」
「契約」
「約束を守らない人間は、情状酌量されたとしても、やはりどこかで信用を失う」
「それはわかる」
「どーしても恋愛したいですというのならとめないけどね。ありとあらゆるものを失うだけの価値があることかどうかは考えたほうがいいんでね」

 というところから、「妻(夫)とはもう愛情関係にはない、別れる」という常套文句についての解釈を求められたので、それは検討する価値もないと思う、と申しました。
「なぜ」
「不倫というものになってしまう以上、なにをどーやったってその好きなはずの人を、社会的に抹殺されかねない危険な状態へ追い込むことになるんだぞ? 好きな人にそんな目にあってほしいと思うもんだろうかね? そんなところに愛とやらがあると思うほうがおかしいだろうよ」

「ものの本筋論、べき論、理想論でいうなら、本当にその人が好きだからアプローチしたい、っつーなら、まずは自分がきれいに別れてくるほうが先」
「……そんな」
「だから、あくまで本筋論だってば。——きれーに別れて独身になっていれば、アプローチしようがなにをどうしようが、誰も何も非難はしないよ。陰口を叩かれるくらいで」

 陰口叩かれるのは避けられまいと思う。(^^;)

「自分はいまある家庭をご破算にして、身ぎれいにして、それからアプローチだからね。アプローチを始めて、好きな人とうまくいくという保証はない。うまくいかなければ、家庭を失い、失恋もする。なにもないことになる、その可能性はあるってこと。
 でも、この状態であれば、法律上も道義上も問題はないし、好きな相手を危険にさらすこともない」
「…………」
「本筋論からいえばそうなるってことだよ。アチラをキープしながらこっちにコナかけてくるなんてのは、お話にならない。そういうこと」

 絶句されましたが、私の考えはそういうことです。

 どういうわけか若い頃にはこの手の相談事を持ち込まれることが多かったので——相談といっても、じっさいはなにも相談じゃないですから、それはいいんですが——、そんな話を聞かされるたび、私の脳内では「愛」という言葉が意味を変えていったんだなあと、今にして思います。(^^;)

 自分でも、あまりにも身も蓋もない考えだということはわかっているので、あんまり喋らないようにしておりましたが——どうもねえ。今回は、非難する側も、じつは自分もちょっと興味あるという側も、なにか違うところにいるように思えたので。

 私のいう「本筋論」はずいぶん厳しいように思われるんでしょうね。そういう考え方をしてるのに当事者を非難しないんだね、と、(なぜか)ちょっと不満そうに言われました(笑)

 非難はしませんよ。他人のことだもの。
 本筋論どおりに生きられないのが人間だということも、これは違う分野ではあるけど私も身をもって経験してるし。
 そう考えればみんな同じ穴のムジナってやつなんで。
 不倫、素晴らしい、なんて褒めやしませんが、非難もしません。

 それにしても。
 ——愛という言葉は、ずいぶん「誤用」される率が高い言葉だな。
 それが私のいちばんの「感想」かもしれません(笑)
 
  
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