双方向性
2016年01月24日 (日) | 編集 |



「妊婦のお腹」ってなんのことかと申しますと、まったく見ず知らずの他人でも、なぜか妊婦さんのお腹は勝手に触っていいと思っている奴がいる、というお話。
 通常であれば赤の他人の体に——まして腹部に触るなんてのはあり得ないことなのに、「赤ちゃん可愛い❤︎」であれば、もう何をしてもいいと思っているらしくて平気で勝手に、ひどいときには断りもなく触ってくる馬鹿がいる。その関係からのツイートです。
 ある話題についてのツイートのやりとりのうちの一つということを、あらかじめお断りいたします。

 ブログ内に表示するにあたり、「元ツイートを含」めて表示というのも選べるんですが、それをやっちゃうとこの場合は、長い巻物みたいになるのであきらめました;;

 さても。
 殺人事件の裁判などでも、よく聞かされるのは「殺すつもりはなかった」という言葉。
 つもりがあろうがなかろうが知ったことかい。本来、法律のもとで問われるのは、「やったことに対する責任」でしかない。
 つもりがあったかなかったかを聞いているんじゃない。
 やったかやらなかったかを問うている。

 ……あれは不思議な裁判の慣行ですよねえ。
 あの悪習慣はいったいどこから始まったんでしょう?

 殺人事件とまではいかなくても、ひとさまとちょっと摩擦が起きたときに、悪気はなかったとか、よかれと思ってとか、そんな言い方をする人も少なからずいますね。

 私も、悪意があろうがなかろうが、人さまを傷つけるような発言は許されるものではない、と言ってきまして、で、なぜかそう言うたびにいやーな顔をされるという。(^^;)
 言われたほうにしてみれば、悪意がなくたってヒドイ発言てのはもう十分の悪意でね。
 つもりがなくたって同じことです。
 
 というより——これはまたうちの身内の話になりますが、「悪意がない? なお悪いわ!」というケースもございます。
 悪意もなくさらっと人を傷つける、そういうことをごくごく自然にやれるって、あんたそりゃもう人間じゃないよ。
 これほどのことをしたり言ったりしていて、なんの良心の呵責もないのなら、それはもうサイコパスだろう、ということになる。
 悪意がない場合、かえって悪い、ってこともあるんですよね。(^^;)

 うえのツイートでなるほどと思ったのは、コミュニケーションにおいては善意・悪意の有無が問題ではなく——つまりそれは「自分の事情」なんですが、それよりここで問題になっているのは「相手の事情・心情」である、ということ。

 大怪我をして血を流している人が目の前にいるのに、そんなつもりはなかった、といって、救急車も呼ばないし手当てもしないし、ただ、私が悪いんじゃないよ、そんなつもりじゃない、——と言っている人間をご想像いただければよろしいかと。

 コミュニケーションは双方のやりとり。
 自分の都合だけを相手に押し付けるのでは、「やりとり」にならない。

 自分は悪くないそんなつもりじゃないと言い張り、怪我人を気遣うそぶりすら見せない人がもっとも理解していないのは、ここなんだなあ、なるほど——と思いました。

 だからといってもちろん、相手の顔色をうかがってばかりいるのも、「やりとり」にはなりませんよね。
 相手の意思を探り、相手のいいように「のみ」いようとするというのも、これは、おべんちゃらというのか、阿(おもね)りというのか——そんなことにしかならない。

 コミュニケーションは、双方向。
 相手の意向を汲むことも必要だし、だからといって自分の気持ちを踏みつけにしてはならないし。

 自分の意思を伝え、相手の気持ちを聞く。
 
 これがどちらかだけでは、やはり、摩擦になっていってしまうんでしょう。
 
 自分の意思や考えを伝えるときにも、ちょっとしたコツがあるんでしょうね。
 それを聞いたとき相手がどう思うかある程度は考えながら、「伝える」コツ。
 それを言い表していると思うのが、
「丸い卵も切りようで四角。ものは言いようで角(かど)が立つ」
 
 これは私の「行動指針」かもしれません(笑)

 同じことを言うにしても、どう伝えるか。どんな言い方をするか、声の調子は、顔の表情は、しぐさは?
 その選び方ひとつでずいぶん様相は変わる。

 私は本来的にはあんまり空気を読む気はなく、気になったものがあれば他人をほったらかして、そちらへそのまま走っていくようなところがあるので、「人がどう思うか」に対する配慮に欠けているところがあります。
 でもさすがに、それではいかんな、という経験もしてまいりまして、卵、卵、と呪文みたいに唱えるようになりました。(^^;)

 難しいなと思うのは。
 自分と他人のバランスをとること。

 ひとさまのことを思い遣れ、というのは世間ではよく言われることで、それはその通り。
 双方向ですから、もうひとつの方向がありまして。
 自分さえ我慢していればいいんだ、それで皆んなが平和なら自分さえ我慢すれば——と思いがちのタイプにとっては、「自分のことも思いやる」というのが、なかなか困難であること。

 人を見て法を説けと申しますが、コミュニケーションの双方向のバランスをとるために、その人にはどんな心がけが必要かは、人によってだいぶ違うな、と感じます。

 上記ツイートで問題になる、「赤の他人の腹を勝手に触る」人は、その行動の異常さにまず気づけ、ってことですし。
 赤の他人にさわられるのがいやなら(まあふつーは嫌ですわね)、泣き寝入りせず、また、相手が「善意」だといっても、それはそれで受け取りつつも、やってることは悪意的なんですから、ちゃんと「伝える」こと。

 まあ、世の中、へんなことで逆ギレするキチガイも多いですから、そのへん、考えてしまう気持ちもわかりますが。(^^;)

 でも、「双方向」は本来はそういうもの——悪意善意はおいといて、自分の気持ちと相手の気持ちの、バランスをとること——なんだろうなと。
 あらためて気づかされたツイートでした。
  
 
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