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「好き」を認める

 テレビでもよくお見かけする、社会学の人気のある先生が、サッカーを腐(くさ)した、というニュースがありまして、見た瞬間はちょっと笑ってしまいました。
 なにかを腐したっていうことがニュースになるってすごいなと思って(笑)

 ご発言の内容は、記者が要約しているものだし、発言には文脈やその場の雰囲気や、誰がそこに一緒にいるかということでも解釈は変わりますから、あんまりそんへんには触れないようにしますね。

 私もこれ、言われたことあるんですよね。サッカーは得点が少ないから面白くないっていうの。
 野球ファンという人に言われたんですけども。(^^;)
 面白いなと思ったのは、私はサッカーも野球も好きで見ますが、野球においても、あんまり得点は多くない、いわゆる「投手戦」が好きなんですよね。

 両チームの投手が双方ともにすばらしいと、打者はなかなか打てない。ことに、三振の山ではなく、打者が早めのカウントから打ちに行ってはゴロで終わるとなるとさらに球数も少なくなる。
 試合はもうばんばん進む。
 たいていは忙しいのは内野手のほうですが、ともあれこういう試合では野手のみなさんも機敏になる。

 ああいう、メリハリのあるゲームが好きなんですね。

 サッカーについてはなるほどゴール自体は多くないですが(サッカーで8−7とかあったら逆にすんげえ荒れ試合と言えるのでは;;)、攻守の切り替えも一瞬だし、ロングボールをとった位置ひとつであっというまに展開が変わることもあるし、中盤で双方仕掛けあうのも面白い。

 ということで。
 得点をではなく、「それまでのあいだ」になにがあるか、のほうが、私には面白いように思えるんだな、と、野球ファンという人と話して気がついたことでした。自分ではあまり考えたことなかったです、そのへん。

 その方は野球でも、打撃戦のほうが好きなんだそうです。ホームランががんがんでたりするような。
 あれはあれで豪快なところがいいんでしょうね。

 このへんはまったく好みでしかありません。

 好きなものはひとつでも多く。嫌いなものはひとつでも少なく。——というのが、私の「理想」ではありますが。
 好みというものは、自分の「意志」でコントロールできるものではないですから限界はありますよねどうしても。

 自分が好きではなくても、誰かが好きだというのなら、それにはちゃんと魅力があるのだ、ということは、わきまえておきたいと思います。

 考えてみるとこれも子供のころの経験からかなあ。(^^;)
 自分と「同類」と思える友達ができたのは高校入ってからのことで、それ以前には、なかなか、同好の士といえる人がおりませんで。
 周囲からは浮くことも、理解を得られないことも——そればかりか、「バカにされる」ことさえ珍しいことではない、という、そんな状況でした。

 べつにだからといって、それにたいして不満もありませんでしたが(それがある意味あたりまえのことだったので)、「バカにされる」のは、納得していたわけではないですね。

 自分が好きなものを、ごめんわからない、といって理解されないのは、好き嫌いのことですからしょーがないとは言えたけれど、バカにされるのは納得できない。
 たぶん、好き、というのは、その人の内面の何かを、多少なりとも反映するものなんでしょう。好き、というとき、人の心は開いているので。

 だれかの好きを「バカにする」のは、多少といえどもその人の人格にかかわるところをバカにしている、ということになる。

 そんなことができる「資格」は、この世の誰にもない。
 これは、自分が歳を重ねるごとに確信してきたこと。

 だれかの好きを「わかってあげられない」のはしょーがない。でも、それを見下したり、バカにするようなことはすまい、とは。
 いつから心に決めたことだったかな。

 なんだかちょっと懐かしいことを思い出しました。(^^)

 わからないことは、わからない、という。
 でも、だれかが好きということなら、そうですか、といって、好きという「気持ち」——開かれた心は、認めていく。
 そんなふうにしていきたいと思います。
 ………可能な限り。(←ちょっと揺らいだ)
  
 
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