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美しいものを



 正義なんてものはそもそも相対的なものであって、「絶対」ではない。自分はどの利益に従うか、自分はどの立場をとるか、という話でしかない。
 そんなもんを振り回して人様を不用意に傷つけるくらいなら、正義感なんてものはゴミ箱へ捨ててこい、とは、わずかこの1年の間に、私も何度書いたことでしょうか。(^^;)

 正義感を振り回して人を殺す——正義の味方は人を殺しても罪にならない、という価値観には、もうそれが何度目だろうといちいち「そんな正義は捨ててこい」と言わなければならんのだな、と思うと、——もとがものぐさ人間ですから、気が遠のきます。(^^;)
 でも、いわないといかんのだな、と思って拝見した記事でした。

 そもそも、謝罪なんてものは——ご本人が是非にというのはまあご自由に、ですが、こちらから謝罪を求めるというのは、なかなかたいへんなことだと思っております。

 謝罪を求めるときって、どんなときでしょう?

 私からすればそれは、「謝罪をしてくれるなら、今回のことは水に流し、あなたとの関係は継続したい」という意思表示になります。
 これは、よほどのことだと思いますね。
 
 謝罪するかしないかは本人のお気持ち、お考え次第。
 そこを「無視」して、謝れ、というのは、なかなかこちらにも覚悟のいること。

(あと、もうひとつ。本来、謝る必要などまったくない人が、頭を下げようとするなら、あたしゃ全力でとめますからね)
(謝罪すべきなのはむしろこちら、という場合はなおさらに)

 謝罪を求める前提は、謝罪してくれたら関係を継続できる、そうしてくれ、ということ。
 つまり、受ける気がないなら謝罪なんか求めるものではない。
 相手が、すみませんでしたと下げた頭を土足で踏みつける、というのは、これこそ悪鬼外道の振る舞いですよ。

 そういう外道が求めるのはじつは謝罪じゃなくて、他人を虐待することによって得られる快感にすぎません。
 そんなもんに付き合う義理はない。というより、そんな「人間以外」と付き合っては「いけない」ので、謝罪しろなんていわれても、知らん顔しているのが筋というものです。

 それに。
 記事の中にもありましたが、いちばんわけわかんないのは、「あんた、部外者でしょ?」という人ですね。(^^;)
 じっさいの当事者間の話ですら、謝罪を求めるというのはビミョーな話なのに、赤の他人が横から入り込んできて「俺に謝れ」って意味わからん。
 なんで野次馬に謝る必要があるんだろう。

 そこで出てくるのが「正義感」の話、ということに、どうしてもなるんだな、と思いまして。

 そんなくだらない正義感ならたったいますぐゴミ箱へ捨ててこい、と思いつつ。

 この「エセ正義」の正体はなんだろう、と、そんなことを考え中。
 
 正義の他にも、エセとそうではないもの、というのはいろいろありますね。
 エセと真物を見分けるコツはあるか、といわれたのでちょこっと申しますと。

「美しい」かどうか。

 人の振る舞いでも、たたずまいでも、なんでもいい。
 美しいものなら、真物。
 そうではない——そうではないどころか、人を傷つけ不愉快にさせるようなら、それはエセ。

 ごくおおざっぱな見方ですが、これは確かな基準だと思います。

 たとえば、ご覧の通りで、エセ正義は美しくない。
 美しいかどうか——これは究極の「ものさし」かもしれないですね。
 
 
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