新聞「紙」は便利という結論
 最初は、テレビのニュース番組を見なくなりまして。
 去年の夏頃からかな、新聞も、とうとう、ほとんど読まなくなりまして。

 戦後70年という、だからどーしたということを、さも大事であるかのように吹聴しまくる論調に嫌気がさすのも限度を超えた、という感じで、読まないぞとこころに決めたわけではなくて、自然にそうなってしまったという次第。

 読むのは文化面かな。ここはさすがに面白い記事があるので。

 母が、なんの件だったか忘れましたが、もう新聞「なんか」とるのやめようか、といったのを、「でも大根を保存するのに使うから」という理由を示し、現在もいちおう、とっております。
 という話をしたら、友人は笑って、「うちも似たような会話したわ」。

 どんな話題が癇に障ったかは聞いていませんが、やはりああいう、「そろりと世の中を扇動しようとする」記事の多さにうんざりして、文句を言っていたら、ダンナさんに「じゃあ新聞やめる?」と聞かれたそうで。
(ダンナさんはほとんど新聞読まないらしい)
 友人は、そういわれてちょっと考えたそうですが、
「でも、掃除に使うから……」
 ということで購読継続決定したそうな(笑)

「内容はぜんぜんアレなんだけど、紙は便利なんだよ紙は!
 というのが、私どもの結論です。
 これも類友ですかねえ。(^^;)
 似たような時期に似たような結論を得ていたんだねアタシら(笑)

 こんなことを言っていると、「マスメディア陰謀論」かよと笑い、他人の言うことはすべて疑うのか、という解釈をしてくる人もあるのですが、もちろんそういうことではございません。

 世の中すべてがまったく同じ意見で統一されるなんてことがあるわけはないんだし、自分と同じだから正論だなんていうほど、私もそこまではさすがに愚かではないつもりです。

 ただ、ああいう——どういえばいいんでしょうかね。自分の本音なり目的なりを「ごまかして」、おきれいな、もっともらしい言葉を並べて、他人の意見をそちらへ導こうとする態度、——どうにも我慢できないんですよね。性分として。

 外国のメディアも、脳みそ左旋回でお話にならないというのは同じ傾向のようですが、それでもあちらは、政治的に自分たちの立場を明らかにして社説を述べるところもありますよね(ぜんぶではない)。
 私は、あれがいいなと思っております。

 自分の立場を隠して、公正中立無私博愛ですみたいなきれいごとで、上面を飾りつつ、他人をコントロールしようという態度が、卑怯とも卑劣ともいう言葉では間に合わないくらいの行為だと思っているので。
 そんなら最初から正面切って、立場を明らかにしてモノを言ってくれた方がすっきりしますよ。

 どのみち、「他人を自分の思惑通りに動かそう」なんて考える奴にロクな人間はないと思っているので、もう、その一点だけでもかなりのものですね。(^^;)
 
 人間の心理の面白いところで、なぜか、文字で伝えられた情報にある種の「権威」を認め、文字で書かれていることは「正しい」ことだと思い込む傾向がある。
 そういう傾向があることを自覚しておく必要は、ありそうです。

 うちの母(70代)は、自分と同年代のかたがたと話していると、やはり、情報の鵜呑みの強さを感じることがあるそうです。
 母は、私から、ネットにおける玉石混淆の情報を聞かされるし、私の独断と偏見ともつきあうことになるので(すみません/笑)、自然と、マスコミの伝える内容を鵜呑みにはしないようで。

 町内の寄り合いでしゃべって帰ってくると、「みんなけっこう、そのまま信じ込んじゃってるところがあるよね」と申します。……うーん、そうですか。
 母はそんなわけで、ネットのように、これまでとは違う情報源があることを大事だと思っているフシもありますが、それはそれで違うと思うよ、と言ってあります。

 面白い&不思議なことに、ネットで情報をとっていると、いつのまにか偏りが出てきて、それが補強され、なおかつ、そうであることになかなか気づけない、という現象が起きやすいんですよね。
 他人は、あるいはこの世のありさまは、「自分を映す鏡」ともいいますが。
 不思議にネットでやっていると、自分の姿「しか」映らなくなることもある。そんなふうに感じます。

 まあ、これさえあれば絶対的にOKといえるものは、この世にはない。——そういうことなんだろうな、と思います。

 さまざまなものが自分の周囲を流れていきますが、自分はどこに立っているのか、それはかなり強く意識しておく必要があるんだろう、とそんなふうに思う2016年初。
 
  
 
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