ほしいもの
 これいいな、は、「これ欲しいな」という意味と、同じではない。
 ——ということに気がつきました。

 雑貨、文房具類を「見る」のが大好きで、ウェブショップ、カタログ、これを見始めると時間を忘れるし、いちばん危ないのはやはり実店舗で、最初に東急ハンズに行ったときは、つれていった友達が後悔したといったくらいでしたね。あと伊東屋さんね。
 お店から出てきやしません。

 なんて話していると、で、何を買ったの? と聞かれるのですが、これがねえ——ほとんどの場合、何も買わないで帰ってきたりするんですよね。(^^;)

 いえあまりにも長時間居座ったあとだと、ちょっと申し訳ないからというので細かいものや、消耗品を買ったりはしますが、これはまったくのおまけ行為。
 服屋さんをのぞいたものの、これというものはなく、といって手ぶらで出てくるのも申し訳ないときにはストッキングを買う、という、アレと同じ構造ですねたぶん。

 あって困るもんじゃない(消耗品だから)し、お値段としても負担にならないものを。

 そこまであれこれ見てなぜ何も買ってこない? と呆れられ、はて? とあらためて考えたりして。

 モノを見ているときにはそりゃもう「これいいなー」連発なんですが、「これ欲しいな!」は、じつは滅多にない。
 もとから、なにか目的があって見ているわけではないということもあるでしょうが、基本、これを買ったらどうなるかと考えているからでしょうね。

 もともと整理整頓が上手な方ではないのですが、それでもそれなりに——近藤麻理恵さんのご本のおかげもあり——、以前よりはマシになりまして。



 断捨離における失敗談を聞くにつけ、こんまりさんの「ときめき」基準て、素晴らしいなと思います。
 必要不要、使うか使わないかということが処分するしないの判断基準になるのは、もちろんだとして。

 比較的新しいものであっても、「ときめきのない」ものなら、感謝をして処分。
 他人が見たらなんですかこれはというようなものでも、「ときめく」ものがあり、大事な思いとリンクしているものなら、処分してはならない。

 断捨離失敗談を聞いていて思うのは、要不要、新しい古い、価額の多寡、といった、いわば「利益」のところだけで判断しているからなんだな、ということ。

 もうたいていのものはそういう、現実的な実利的な判断でいいと思いますが、でも、「捨ててはいけないもの」は、自分の気持ちの中にある、ということを、無視してはいかんのだなと。
(いちばんいかんのは、他人のものを勝手に処分することですね;; いかにご家族身内といえど他者はあくまでも他者。このけじめは見失ってはなりません)

 ということで。
 じっくり時間をかけて自分の胸の奥深くにまで問いかけながらの、整理整頓のあとというのは、「ものを増やす」ことにも、「丁寧に」なる気がします。
 慎重というより、「丁寧」です。

 ケチではない。これこそ、と思ったものなら、ためらうこともない。(電卓は叩くけど)

 自分がいかに自分の気持ちを無視して「ときめかない」ものを、しかもぞんざいに扱っていたかを実感したあとは、ものを買うときに無意識に、ときめきがあるかどうかを、じっと内側に問いかけるようになりますね。

 その答えはなかなか出てこないこともあります。

 こういうご時世なので、どうだろう、私はこれが本当に好きだろうか、と問いかけて、返事を待っている間に、売れちゃったりすることもありますね。
 残念にも思いますが、後悔したことはないんですよね。

 てことはたぶん——「ご縁がなかった」んだな、と思うことにしております。

 むかーしの人はたいていのことは、ご縁があるとかないとかで、世の中のことを語っていたようですが、でも、これ、当たりだと思いますねえ。

 本当にご縁のあるものは、いちどはあきらめたのに、思いがけないところで巡りあったりします。
 そのときに、わあよかった、という気持ちがあればもう決定ですよね。(*^_^*)
 迷うこともありません。

 ということで。
 これいいな〜、といっても、それは、「これ欲しいな」ということには、なかなかならないようです。

 これいいな、というのは、その文具なりなんなりの、デザインがいいなとか発想がすごいなとか面白いなとか、そんなところで楽しんでいるようです。
 ……売り場からしばらく出てこないというのは、ちょっとあらためたほうがいいかもしれませんが;;
 
 
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