あれから1年

 本日は冬至です。
 1年でいちばん昼が短い日、ということなんですが。
 ……なんですかねえ、今年はやけに楽だったなあ…。

 季節性うつの傾向はあるのですが、やはり体調がよろしくないときのほうが顕著に現れますね。
 当たり前じゃんと言われそうですが……精神的なもののことで。(^^;)
 ひどいときは11月中旬から、いいも言われぬ息苦しさで押しつぶされそうになっている年もありましたので、そのへんを考えると今年は、気がつくともう冬至か〜、というくらい。
 ありがたいことです。
 精神的に楽、というのは、ほんっっっとに! 楽ですね〜。ヾ(・∀・)ノ

 この冬はこの調子で、ぜひ行きたいもんです。

      ●

 ツイッターを始めて1年が経ちまして。
 なるほどなあと思うことがいくつかありましたが、そのうちのひとつが
ひとさまのことをとやかく言わない
 というのは大原則だなということ。

 自分が何か言いたいことがあったとして、それは自分のこととして完結できるはずなんですよねほとんど。

 誰かのふるまいや言動を見聞きして、感動するにしろ怒るにしろ、たしかにそこでわっと感情が動くんですが、そこから出てくる「言いたいこと」を語るのに、いちいち他人様を引っ張り出す必要はありません。(きっぱり)

 動いたものは自分の感情ですから、「本題」は、なぜ動いたのか、なにに自分が反応したのか、ということ。
 他人がいいか悪いか、じゃないんですよね。
 誰かの行動にイラっときたとして、感情のままにその誰かのことを悪くというと、そりゃまあ、摩擦になることが多いでしょう。
 本題からそれているので、どのみち、お互いになんとなく「話がかみ合わない」感じがするはずです。

 自分がイラッときたその行動に、すべての人が同じにイラッとするわけではない。
 てことは、ものの本質は、その行動がいいか悪いかじゃなくて、「なぜ自分はそれに反応したんだろう」ということにある。
 ……っていう説明でわかります? わかりにくいかな。どうもいい例題を思いつけなくて。(^^;)

 べつになんとも思わず通り過ぎる人がいるのに、自分は強く反応したということは、理由もしくは問題は自分の中にある。
 
 その問題をつっこむと出てくるのは、あくまでも自分のこと。
 自分のコンプレックスだったり長い間の疑問だったり、あるいは、こうありたい、という理想の思いだったり。

 本題はそちらですから、いちいち人様を裁く必要はまったくない、というより、それはもう、お門違いでもあるし、「脱線」でもある。
 自分にはこんな思いがある、理想がある、好きだったり嫌いだったり——、そういう、「自分が持っているもの」が本題ですから、それについて語ればいい。

 本題を語らず、ただ感情のままに他人を裁くこと、というのは、これはやめたほうがいいな、と。
 ツイートを見てきて思ったことです。

 基本的には言いたいことって自分についてのことなんですよね。それを思い出すきっかけは、他人の行動だったかもしれないけれど、本当に心が動いた理由は自分のこと。
 自分のことを隠したまま、ひとさまを裁こうとすれば、それはやはりお門違いだし、「間違い」ということになる。だから喧嘩になっていく。
 そんなふうに思います。

 ただ。
 これはもう、どうにもならないよねえ、と思うのは、
「呼ばれてもいないのに勝手に来るひと」。

 私はこうなんですよと話しただけなのに、「それは私に対する非難なのか」といって絡んでくるひと。
 あれは、面食らいますね。(^^;)
 私自身は幸いそういう目にあったことはないんですが、いつも楽しみに拝見するツイート主さまがそういう目にあうのを見て、「なんですかあれは」と、びっくりしたことは数知れず。

 ある話題について話していて、なるほどねえそうですか、といっているとき、通りかかったひとがいきなり会話に割って入ってきて、「それは私を悪く言っているのか。悪く言っているんだな」などと眦(まなじり)を決して「怒鳴り込んでくる」。
 あれは——ビックリする。なにもよりもまずは。(^^;)

 誰もあなたのことなんか言ってませんよ、というか、どちらさま? という感じですね。

 自意識過剰なんじゃねえの、というのが率直なところですが。(^^;)
 ああいう人こそまさに、かっとなったら、自分がなににそうもカッとなっているのか、自分の中を点検したほうがよさそうですが。

 ああいうのに絡まれてしまうというのはもう、当たり屋に遭遇するようなもので、こちらとしてはどうしようもないことですね;;
 他人を裁くことなく自分の話に終始していても、完全に無関係の他人が「いま、こっちを見て笑っただろう」なんていって怒鳴り込んでくることがあるんですねえ…。うーん。
 これはもうほんと、「予防」のしようがないやな、と思いました。

 あとは先日も書きましたが、「入り組んだ長文を、140文字に分解して連投するのは、誤解されるもとなのでやめたほうがいい」ということ。

 ツイッターもなかなか社会勉強、あるいは人間というものについての勉強になります。
 
 そんなこんなで、なるほどねえとか言いながら、——Facebookは放置なんですが、ツイッターではそれなりに楽しく遊んでおります。
 
 
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