スターウォーズの思い出各種
2015年12月19日 (土) | 編集 |
 ディズニーランドにはこれまでただの1度も行ったことはありません、というと、かーなり本気で驚かれます。
 あれはそんなに人生に必須のものなのか、と、こちらが戸惑うくらいの勢いで驚かれますね。なんですか、ネズミーランドにいかないと人間じゃないとでも? と思うほど。

 それにくらべると、スターウォーズは1回も見たことない、というのは、まあそんなには驚かれませんね。(^^;)
 え、1回も? 一番最初のは見たことあるでしょ? と訝(いぶか)しがられる程度です。
 ……いちばん最初の映画も見たことないです、通しでは。

 あれが最初に封切られたときは小学校1年くらいだったのかなあ。それくらいの年齢では興味もなかったのはまあある意味当然としても、その後評判になり、テレビでもしょっちゅう放映されるようになっても、きっちり、最初から最後まで見たことはない。
 見なかった理由というのが我ながらヒドイ話で。
 テレビで放映するというので、評判のスターウォーズというものか、どんなものかと、いちおう見始めたんですがすぐやめてしまいました。
 理由は、お姫様がきれいでなかったから。

 ……小学校何年生くらいだったんだろう;; まったくヒドイことで;;

 まだ御伽噺のロマンというものに強く支配されているころで、ヒロイックファンタジーには、騎士と姫君はセットである、という概念が強かったんですね。
 で、私の思い描くお姫様というのが、ディズニーアニメの「眠れる森の美女」でしたから……レイア姫はちょっと認めがたいものが。

 外見のことじゃなくて、物腰というのですかね。いかにも元気なアメリカのお嬢さんという感じで、親しみやすくて、はねっかえりのところこそが魅力。
 それはそれでよろしいのです。なんせ「キャンディ♡キャンディ」世代ど真ん中ですから。(^^;)



 ただ、キャンディは好きだけれども、あれを「お姫様」とは呼びたくないし認めたくない——という気持ちだったことを、いまでもはっきり思い出せます。
 おまけに、横目で見ていたら、当初の予想を大きく裏切り、彼女はルークではなくハン・ソロに夢中になっていったわけで(なるほどねえという設定ではありますが)、これもまた、御伽噺の「定型」に慣れきっていたコドモには混乱の元でした。
 それで興味を失ったってあたりが我ながらヒドイ(笑)

 物語の蓋然性よりも、「物語はこういうふうに進行していく」という、いわば「テンプレート」が頭の中にできていて、それをひっくり返されたもんだから、「はあ?」となっていたんですね。
 思い返すと、人生の中でいちばん保守的だったのって、幼稚園とか小学生のころだなー。なんでかな。
 それこそステレオタイプってやつで、そこからはみ出したものは理解不能のスタンプをおして放り出してました。
 当時の自分を振り返えると、まあ頭かたいねえ、なにその究極の石頭、と呆れるばかりです。
 子供のころの方が柔軟な発想するんじゃなかったのか? と思いますね。(^^;)

 スターウォーズについてはもちろん、興味を持てなかったのはそれだけではなくて、ダースヴェーダーさんがじつは……となった時点で、あ〜あ、と思ったし、そもそも、SFとして考えるなら、同じような趣向なら「宇宙戦艦ヤマト」のほうがよっぽど面白かったのです。
 これは好みだからしょーがないと思って、お許しください。

 その後スターウォーズはその物語世界の拡張を続け、いまとなっては、アレをぜんぶさらい直せというのか、と考えると気が遠のくくらい広大なものになってしまいました。
 もう、あの世界に近づくことは今後もないでしょう。(^^;)

 これはもう20才くらいのときだったかと思いますが、そんな話をしていたら、友人に、
「あんたは、他の人が知らないことを知っていて、みんなが知っていることを知らないって平気で言う」
 と、笑いながら言われたことがあります。

 まあ、そんなもんでしょ。(^^;)
 たいして記憶容量が大きくない脳みそだから、詰め込める情報量には限りがある。自分が興味のあるものだけでいっぱいになるから、たとえ世間様にはよく知られたものであっても、自分には必要ないなと思ったら除外するしかないわけですね。
 
 よくそれで友達の話に付き合えるねとかいじめられなかったのとか言われますが、べつにないです、そういうの。
 自分が知らないことは、へーそーなの、といって聞いてりゃいいんで、だから爪弾きされたという覚えもない。
 よく考えてみると、これはありがたいことなんですね。

 もっとも、それくらい心の広い人でないと、そもそも私とは付き合ってくれない気がします(笑)
 
 
関連記事