幻想は文化
2015年12月16日 (水) | 編集 |
 また身も蓋もない言い方になって恐縮ですが、恋愛するにはどーしても幻想って必要なものなんですかね。
 恋愛なんて言葉でごまかしてちゃいけない——そんなもんじゃない、もっと単純に性的なもののことですが。

 フィギュアスケートの羽生結弦選手については、若い人たちはそうでもないが、私と同年代、40代になりますと、男女ともに、彼を「軟弱」といってイヤそうな顔をする人が多いので驚いておるのです。

 以前、高橋大輔さんは、羽生選手をして「日本チームでいちばんオトコマエ」と評しました。
 高橋さんが羽生選手と同じ年頃の時にはガラスの貴公子などと言われていた(率直に言って、いい意味ではないです)ことを思い出しても、まったくですねと。

 2011年シーズンは過酷なものだったはず。しかも、あとから聞けば右の足首を傷めていたというし、GPファイナルでは、なんと転倒までしてしまった。
 それでも集中力を切らすことなく鬼気迫る演技を見せた、あのとき、くわしい事情を知らなかったにもかかわらず、思わず泣けてしまった人が続出してましたよね。
 私はあのときに、もうそんじょそこらのオッサンなんか目じゃないくらいの、「男らしさ」を見た、と思いました。
 
 ところがところが。
 それに同意してくれない人が多いので、驚いたのなんの。
 あの可愛いプーさんのティッシュボックスカバーを持ち出して、結果的にくさす人続出。
 開いた口がふさがらないとはあのこと。

 いかにお顔が可愛らしいからといってあの中身を見たとき、彼を軟弱だなんていう奴いるのか、と思うんですが。
 けっこういるから驚きですわ;;

 それで、よくよく聞いているとようは、ものすごいステレオタイプを持ち出すんですね。
 まあ、古式ゆかしい、男らしい、オトコはこうあるべき、という思い込みは、着るもの、持ち物、言葉遣い、しぐさひとつにいたるまで出来上がっておりまして、それからほんの少しでも外れると、とたんに、「男らしくない」「女の子みたい」「軟弱」とくる。

 フーン。と、さすがに私も鼻から息を吐きつつ呆れている昨今でございます。

 で、ちょっと興味深かったのは女性の見方でして、これはもう異性を見るときの視線になるんですね。
 いわば性的な感情が引き起こされるかどうかというのも大きな問題になるようで(もちろん、そんなことをはっきり言葉にはしませんが)、それで、軽く嫌悪感を示したり、「対象」としてはチョット、ということになるらしい。

 私は、外見ばかりがマッチョで、中身がもうお話にならないグダグダ男のほうが始末におえないと思っているので、……ええそうなんですかとしか、いいようがない。(^^;)
 
 性的唯幻論——というのが岸田秀先生の御説にありますが、まったくのところ、性的な感情を呼び起こすのは、じつは、じっさいの魅力がどうこうよりも、「自分が持っている幻想に叶っているかどうか」なんだなあ、と思いました。
 
 男とは女とは、こうあるべきそうあるべきといわれるのが、とにかく私は子供の頃から大嫌いなんですが(小学校にあがるかどうかくらいの年齢の時点で親に抗議したことあるそうです。記憶にはございませんが)、でも大抵の人は、その「性的幻想」によって、異性を魅力的だと思ったり思わなかったりする——というのを、こんなところで見てしまっております。(^^;)

 さらに興味深いのは、この幻想、かなり「文化」に影響される、ということですね。

 私ども中年はもう、その古式ゆかしいステレオタイプから抜け出すことが困難な人が多いようですが、若い人はそうでもない、というのをみても、そう思いますね。
 もちろんどの世代にも古式ゆかしい人たちはいますから、いまのところ、そうはっきり、目で見てわかるほどではないようですが。

 そんな幻想がなければ成立しないのが人間の性生活なのかね、と思うと、どうにも虚しくなってまいります。

 で、またここで話題が飛躍しますが。(^^;)

 羽生選手をどう見るか、という話題だけですでに世代差がある。
 やっぱりジェネレーションギャップは避け得ないもの、と実感します。

 お若い方のなかにはそのジェネレーションギャップに泣かされている人も多いだろうと思いますが。
 これはもう、あきらめてやってください。(^^;)
 しょーがないんですよ、たぶんね。生まれて育ってきた環境も、取り巻いてきた「文化」も、ぜんぜん違うもの。

 自分が何に支配されているかなんて、なかなか、自覚できるものではないし。
 自覚したとしても、異なる文化を「共有」することはできません。
 できずにいる大人たちを、許してやってください。

 ただ、恐らくは双方に、文化を少し離れてながめ、少し支配から離れ、少し異文化を「知る」ことはできる人たちはいる。
 そのことを理解して実践する人がいる——だから世の中はそれでもなんとかなってるんだなと思いました。

 問題は、そういう、石頭の大人どもにうんざりしている方々も、いずれ、異なる文化をひっさげた若い人たちと向き合うときがくるのですが。
 そのとき、自分がどういう人間としてその場に臨むのか。臨めるのか。
 いまの大人どもにうんざりするなら、自分がそうはならないように。
 それができれば、自分もまた、ちょっと自由の範囲を増やすことができますので。

 人のことをあんまり悪く言っていると、自分に返ってくる——ブーメラン、ての。よくご存知ですよね。
 まあ、そういうことで。
 なに、ブーメランで痛い目をみるのは大人どものほうが大きいですよ、本当は。
 恐ろしいことに、すでに頭にブーメラン刺さっているのに気づかない人がけっこういるってだけです。(^^;)
 
 それはそれとしても。
 ………あんまりいうとまた怒られるんでしょうが……自分と同世代のひとたちの、あの石頭ぶりとどうつきあっていけばいいのかと、いまはそんなことを考えております。
 おかしいなあ。私も頭の固い保守派に属するはずなんですけどねえ;;
 
 
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