ロミオとジュリエット
2015年12月15日 (火) | 編集 |
 フィギュアスケート、グランプリファイナルのエキシビションを見ていたら……アイスダンスかな、あの羽生結弦選手も使った、映画「ロミオとジュリエット」の音楽を使ったペアがいましたね。

 映画の方はぜんぜん知らないけど、羽生選手のおかげで音楽はすっかり覚えちゃったなと、ぼーっと見ておりました。

 ロミオとジュリエットは、シェイクスピアの戯曲によりますと、年齢はそれぞれ、15歳と13歳。
 で、出会ってから死ぬまでが3日間しかない。
 あらためてちゃんと読んでみるとそういうことでして、年齢のこともアレですが、わずか3日、というのも、意外に感じました。
 ちょこっと本を引っ張り出して、読んでいるんですけども。
 こうしてみるとこの作品、ろくな大人が出てこないな、と。

 こういっちゃなんだが、ロミオとジュリエットって、純粋で美しくはありましょうが、ちょっと頭がよろしいとはいえないなあ、と思ってきました。
 年齢を聞けば無理からぬことではありますが(中学生だものなー……)、しかし、原因はほかにもあったようです。
 大人がどうしようもない奴ばっかり。(^^;)

 20年以上ぶりに、チラチラとだけど再読して、あらためてそのことに気がつきました。

 いってみれば、「ちゃんとした」保護者がいないんですよね。この子たち。
 それぞれの両親があてにならないのはしょうがないとしても——ほかの大人も話にならない。

 こちらは頭の良し悪しの話ではなく、結局、だれも、ロミジュリのことは真面目に考えてないんじゃないか、と。
 ふたりの身になって、あるいは、彼らのことを本当に思っている大人が、いない気がする。

 若いというより幼いひとを、なんとか守ろうとする大人がいない。
 彼らを利用しようとしているか、さもなければ若いと見くびっているか、どちらか。
 これは、気の毒なことではないでしょうか。

 もちろんそうでなければ、悲劇というドラマにはなっていかないので、シェイクスピアはわざとそのようにしている、というのはわかりますが。

 そんなふうに思った自分を、ちょっと面白く感じました。(^^;)
 主人公たちをとりまく大人どもに注目し、それがいい大人のすることか! と、むかっ腹がたってくるってあたり、ずいぶん読み方が変わったもんです(笑)

 幼い——若いひとを、ちゃんと守っていく意識のない大人に取り囲まれたことこそが、このふたりにとっては最大の悲劇だったかもしれない。
 
 ちゃんと最後まで読み返せば、また感想も変わるかもしれませんが、でも、そんな視点があることすら、若い頃には想像もしてなかったので。
 そんな読み方もあるんだな、と。

 現実をふりかえりますと、じっさい、幼い人たちを守るという意識の薄い、あるいは「ない」大人どもというのは、いますねえ。
 あれはどうしてなんでしょうね。
 自身が未成熟だからとはいえることでしょうが、人間は死ぬまで未成熟なんですよね。だから、未成熟な人間であることと、保護欲とは、必ずしも相関関係にあるわけじゃない気がします。

 いまどきの若いものは——という愚痴が、私は自分が若い頃も、現在でも、好きではありません。
 好きではないどころではなく、こういうことを言い出されると、返事に困ります。
 なにしろ、眼の前にいる、「昔の若いもの」がどんなふうだったか、克明に覚えているので、
「おめーにそんなふうに言われるほどじゃねーべ(昔のあんたよりはしっかりしてるよ)」
 と返したくなるのですが、それをいったら怒られますよねまず間違いなく;;

 ゆえに、返事のしようもなくて、ああそう? などととぼけた返事をするしかありません。どうにかなりませんかねえ、アレ。(^^;)
 
 
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