愛か罰か
2015年12月14日 (月) | 編集 |
 いつも楽しく拝見しているとあるツイート主様が、数日にわたってツイートを重ねておいでなので、どうも、よっぽど腹に据えかねるものがあるらしい……と思い、ちょっと検索してみました。

 ……今日のエントリーは 18禁にしたほうがいいのかな。(^^;)

24時間テレビ エロは地球を救う (Wikipediaから)

 有料放送も増えているし、そもそもネットがあるんだし、もう世の中にどんなチャンネルがあろうと知ったこっちゃないんですが、そういうものもあるのね、へー、と。

 で、こちらはそういうわけで、アダルトビデオのような企画が並んでおりますが、「チャリティ(慈善事業)」ではあります。

 ただいま話題になっているのが「おっぱい募金」なるものなんだそうで、「チャリティー募金を行った参加者は、アダルト女優の胸を揉む事ができる」そうで、2003年から現在まで継続しているとのこと。
 どこでどうバレたのか存じませんが、わりと最近になって広く知られるようになったんですかね、現在、これに反対する署名活動も行われているそうです。

 …………もう、何をどこからどうコメントすればいいのかわからないシロモノで。(^^;)
 一言で言うなら馬鹿らしいとしかいいようがないわけですが;;

 ただ、私が興味深く思ったのは、
最終的に慈善事業として使われるのであれば、そのお金は、どんなところからどんなふうに出てきた金でもいいのか?
 というテーゼですね。

 浄財、という言い方もあるもんなあ…。うーん。

 それをいったらもう賭け事もそうですね。宝くじも、慈善事業に向けられるお金もあるし。
 うちの母などは「悪どく儲けてきれいに使う、ってことじゃないの」と、これは昔から申しておりましたね。

 悪どいことをしてひとさまからお金を「巻き上げる」だけでは、世間からの目も厳しい。ひとつの「いいわけ」として、慈善事業に「も」振り分ける、と。
 
 もし私がなにか、慈善活動を行いたいと願ったとして、喉から手が出るほどお金がほしいとする。
 でもって、大口で寄付してくれるのはいいが、それがこういう「おっぱい募金」の金だったらどうか?
 ……と考えてみたんですけども。

 やっぱり、お断りするかな。
「お金は欲しいけど」と、泣きながら断るでしょうねえ。

 ——それはなぜ?

 興味を引かれたのはここんとこです。

 もし仮に、強盗殺人事件があって、犯人がなにかの理由でそのお金をおくってきたら、そりゃーもう、可能な限り返金しますよね。
 受け取れない。絶対に。

 それにくらべると、エロ行為によって集まったお金だと、うーんどうしよう、と迷う分だけ、いくらかでも、認められるという気持ちがあるんでしょう。

 強殺や詐欺のように、誰かを傷つけて泣かせたものは、絶対に受け取れない。

 エロ行為の場合は、「ばっかじゃないの」と思うのは当然として、それによって傷ついた人がいるのか、が、ぱっと見には明確ではないので迷うのかな。
 基本的に、こういう行為を自らすすんで希望する女性があるとは思えない。諸事情により許容範囲が異なる人はあるでしょうが、幼い女の子がモデルさんや女優さんに憧れるような気持ちになるような、そんな対象ではない、ということは、人の気持ちがわからない殿方には念入りに念を押したいところ。
 そう考えると「誰も傷つけていない」とは、思えないんですよねこの場合はね。

 慈善事業に投入されるのであれば、そのお金は、どんな経緯を持つものであってもかまわないか? という命題。
 私としては「偽 False」、といたします。

 殺人や詐欺による金なら絶対受け取らないし、使っちゃったあとなら、少しでも(被害者に)返す。
 ということは、「どんな経緯でもかまわない」とは言えないから。
 誰かを傷つけた結果のお金は、受け取れない。

 ここから考えていって、ならばエロ行為の結果のお金は? となりますと。

 露骨にだれかの生命財産を損なったわけではないにしろ、間接的ではあるにしろ、だれかを傷つけた可能性はあるので、受け取れない。——そういう結論になりますね。

 では、なぜ、人を傷つけ損なったお金は受け取れないのか? ということになるんですが。

 因果応報、という考え方がありますよね。
 自分が行ったことの報いは、自分が受けるのだ、という。

 いいことをすれば、「徳」になり。
 悪いことをすれば、「悪果」「罰」となって返ってくる。

 知らなかったこととはいえ、人を傷つけ、損なったという、「悪いこと」をして得たお金を受け取れば、「悪果」をも、自分の手の中に呼び込むことになる。

 それはいけません。

 ねずみ小僧が投げ込んでいったお金は、だから、受け取らないで、ちゃんと御公儀に届けるべきもの。

 エロ行為を、たとえば盗みのような犯罪と同列にするのかという反発は、これはこれであるんでしょうが。
 どう考えるべきでしょうかね。
 私はそういう職業に関わる人を卑賤視することはないんですが、「人」ではなく、「行為」としては、問題なしとするわけにはいかないな、という、そんな感じです。

 感情的に「怒って」いるわけじゃないんです。
 むしろ冷たい目で、「善果」になるものなのか、「悪果」を呼び込むものなのか、と、「観察している」のです。
 見て、考えている。
 そのあたりはご理解いただきたいと思います。
 
 
関連記事