西から昇る太陽


 言葉が概念を作ったり、概念が言葉を生み出したり、あるいは、言葉によって文化が規定されたり文化があるから言葉が生まれたり。
 その相互の関係が面白いな、とあらためて思ったコラム。

 こちらのシリーズは本文もなかなか面白い。感情的になることもなく、といって冷たすぎることもなく、適度な温度で事実関係とご意見が述べられていると思います。

 まずはツイートで主題をぽんと見たときに、ああそういえばそうねと思ったのは、「日本では伝統的に、女性同士の性愛を示す概念、言葉がなかった」というところ。

 面白いのは、概念言葉がなかったからといって、実態がなかったわけではない、ということ。

 実態がないわけではないどころではない(笑)ので、ふーんなるほどなあ。と。

 そのあたりの考察の結論はちょっと悲しいものが(私には)あるのですが、——女性の、社会の中での無視のされようのひどさが、あらためて感じられるので。……でもまあ、それもいいですとりあえず。

 英語には、misogyny ミソジニー(女嫌い)という言葉はあるが、その逆はない、と聞いたときも、ほんとにビックリしました。
 男嫌い、といってしまうと「人嫌い」との区別がつかないことになるからか? とも思いましたが、そういう理由でもないようで。

 男嫌いに相当する言葉がないから、あちらにはそういう女性がいない、ということではまったくないのはご存知の通り。
 本来なら無視できないはずの数がいるのに、言葉すら許されなかったのはなぜか。

 多数派のご意向はもちろんあるんでしょうが、それにしても、ほんの少しも言葉が許されなかったというのは不思議。
 抑圧する側が認めないのはわかるとしても、抑圧される側には、たとえ俗語隠語の類でも、なにかなかったんだろうか。

 言葉と概念と社会——それらの作り出す「関係」というのは、なかなか興味深いものがありますね。

 言葉が作られるときというのは——どういうときなんだろう。

 言葉によって文化が定められていく一方で、実態は存在しているのに、その実態を示す言葉が数百年、千年、それ以上のあいだ、作られずに「無視される」こともある。

 人の無意識と、言葉の関係というのはなかなか奥深く、複雑なものがあるようです。

 ちなみにmisogynyは、Wikiによれば「ギリシア語の μισος(憎しみ)と γυνε(女性)から由来」するとのことです。

 ミソジニーにたいしてミサンドリーmisandry という言葉が出てきました。が、これは反フェミという言葉が作られたように、フェミニズム以降に作られた新語じゃないかと予測してますが真相やいかに。(^^;)

 いずれにしてもセクシャリティの話は繊細なもんだなと思いますね。
 そういえば先日は、同性愛は異常といって怒られた議員さんがいましたが(辞職勧告くらいそうなんですって?)。
 セクシャリティは厳密には異性愛同性愛だけじゃないんだよねえ……。
 ああいう石頭の人は、そういう多様性にはついてこれないのかな。やっぱり。

 しかし、言葉さえ許されていなかろうが異常といわれようが、そこにあるものはある——ありつづける。何千年でも。
 
 それを無視し続けることは、じっさいには不可能だと思う。

 私はこれまで、自分の「ミサンドリスト」ぶりから考えるに、同性愛に「変更」したほうが幸せなんじゃないかと思ったこともありましたが、………自分の意思でどうにかなることでもなく。(^^;)
 残念ながらヘテロ(異性愛)ストレートです。いまだに。

 自分にそういう、内面上の経験があるので、セクシャリティの動かしがたいことは、理解出来る。
 自分のセクシャリティを変えろといわれるのは、太陽を西から昇らせてみろといわれるのと同じこと。

 アンタそんなことできんの? と思いますね。

 そういうわけで、ひとさまのことを軽々に異常だの何だの、いうものではない。そう思っております。
 
 
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