できるけど、やらない


 著作権法等、権利に関わる法律からみれば、ネットなぞはお話にならない犯罪者空間ですよね。(^^;)

 ということで私が気にしているのは、ツイートの扱いなんですが…。
 百聞は一見に如かずってことで、ちょっと見慣れないもの馴染みのないものについて触れるときは、やはり画像があってくれた方が話は早い。ましてツイートでは文字数がごく限られていますし。

 結果、植物、あるいはカクテルツイートでは画像をお借りすることが多くなるので、いちおう、その権利関係は気にしております。
 そのサイト様に、使用許諾について書いてあれば従います。基本的にご自由にどうぞ、といっていただけると本当にありがたいです。
 そういう場合と、とくに書いてない場合は、画像に掲載元のURLを添えてツイートするようにしております。

 私がふだん使わせてもらっている画像は、著作権等フリーの素材サイト様のもの。

・「無料写真素材  写真AC Photo AC」様
http://www.photo-ac.com

 ブログであればエントリーの最後にでも、元サイトや、写真自体にもとのURLをリンクできますが、Twitterではそこまでの機能はないですもんねえ……。

 ひとさまのツイートにある画像についてはどうかというと。
 本当は保存して、自分のツイートに含めたい(つまり転載)ところですが、そこは我慢して、これはいいなと思った画像はRT(リツイート)か、ふぁぼ——じゃなくていまは「いいね」か。それにしてます。(^^;)
 RTの悲しいところは、ツイート主様が削除してしまったら消えてしまうこと。せっかくいいなと思ったものが消えている、というのは悲しいもの。できれば画像は保存して、それを自分のツイートにしたいですね。本音を言えば。
 
 インターネットの難しいところでしょうね。
 ひとさまのツイートにあった画像を保存して自分のツイートに転載する、ということは、「できる」んですが。
 しかし、できる、ということが、すべて「そうしてもよい」ことかというと、そうではない。

 自由とは、こういうものだと思いますね、つくづく。

 できるからといっても、ひとには、やってはならないことがある。

 自由と放埓(ほうらつ)はまったく異なるものだ、とは、もう私もこれまで何回口走ってきたことか。

 自由とは、「自分で考えて決めろ」ということ。

 自分で決めて行ったことなら、その責任も自分にある。

 自由というのは本当は、とても厳しいものなんですよね。
 でも、自由だ権利だと脳天気に騒ぐひとたちは、自分の喉笛に鋭い切っ先が押し付けられていることに気がついていない。

 インターネットは、そのあたりを学ぶには、いい環境であり教材でもあるんでしょう。
 炎上「させる」行為については愚かの極みだと思っていますが。

 技術的には、ひとさまのものを「盗む」ことはきわめて容易にできるところですよね、Twitterに限らずネット、あるいはデジタルデータの世界ってね。
 情報というものをずいぶん「自由」にしたでしょう。

 でも、それを扱う人間は、その自由が何を意味しているのか、その「自由をどう使うか」、まだわかってないし、決めかねてもいるんだな——と。

 技術的な特徴と、人間社会におけるルールとが、「そぐわない」ように見えるとき、そんなふうに思います。

 まあ、法律がどうたらなんて小難しいことをいわなくても、本当は、そこにあるルールはきわめて単純なものだと思いますけどね。
「他人のものを盗まない」
「他人の領域を侵さない」
「自分の自由を求める」
「自分の自由を求める他人を許す」

 単純極まりないはずの話が難しくなる原因は、そのうちのどれかひとつを踏みにじるからじゃないでしょうか。
 自由というのはきわめて繊細なものなので、ちょっとでも調和を崩したら、あっというまにカタストロフ(悲劇的な破局)に変わってしまう。
 
 自由は放埓を意味しない。

 それをすら認めるのがいやなら、絶海の孤島で「ひとりで」、好きなだけ、「放埓」を味わって生きるのがよろしいでしょう。
 放埓と、絶対の孤独を。
 
  
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