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2015.11.28 (Sat)

お気楽

 たいてい誰にでも、なにがしかの心残りや後悔というものがある……とよく言われますが。
 この間ちょっと考えてみたんですが、図々しいのか何なのか、どうも私にはあまり、そういう後悔していること、というのがないような気がする。

 ああすればよかった、もないし、あれはやめておけばよかった、もない。
 あんなふうにしたかったな、と、望んだけれども実現しなかったことはあるけど、それにも大して執着はない。

 後悔がない、というと、いいことのように思われるんですが——そうなんでしょうか;; 大丈夫なのか私;;

 後悔なり、心残りなりがないのは、本当にそうやって清々しく生きてこれたということならまことにけっこうなことでしょうが、どうも私の場合、なにかを強く望むことがなかったので、そういうふうになってんじゃないか、と、自分では疑っております。
 強く望まなければ、本当の意味での挫折も後悔もない、ということなのでは? と。

 もうひとつには、わがままを通してきたから、ということもありそうです。
 これはわりとはっきり断言できますね。(^^;)

 単純素朴な人間の作りをしているうえ、良くも悪くも嘘はつけないところがあるので、本当の意味で自分の本心を捻じ曲げたり押し殺したり「できない」。
 自分なりの思いを完全に押しつぶしたことはないようです。
 ふだんはぼーっとしているんですが、こればかりは譲れないというものについては、人間関係を終わらせてでも譲らないまま過ごしておりますね。

 けっこうなことじゃないのと言われますが、たぶん——私はいいんですけど、その分のしわ寄せが、周囲にいっているんだろうなと思いますと……ねえ;; 申し訳ない、という気持ちもあります;;
 こっちの話はわりとはっきりしているのでいいとして。

 望んだことがない、ということについてもうちょっと考えてみる。
 強く望んだことはない、というのは、どうなんだろう、いいことなんだろうか。そうでもないんだろうか。

 ひどい心残りとなっているものがない、というのが、本当に腹の底からじっさいそのとおりなら、いいことだと思いますが。
 本気で何かを望んだことがないから、強い失望も後悔もない。
 そういうことだと、ちょっとどうなのか。

 ふりかえると、どうしてもと望んだことがない、というあたりに、ちょっと引っかかりを感じますね。自分では。

 あまりにもしっかりと自分の本心を押し殺してきたので、望みそのものとつながることがなかっただけ、という可能性も捨てきれない。
 そうであった場合、なにがいかんのかというと、——それだと、時限爆弾かかえて歩いているようなものなので、それで、大丈夫かいな、と思うわけです。(^^;)

 そうはいっても。
 いくつかの「過去」が、意味を変えたというのも、ここ2、3年の間につづきまして。
 自分にとってはとてつもなく重い十字架のようなもの——人に話すこともできないような、重くてつらいとばかり思ってきたことが、そうではないものに姿を変えた、ということがいくつか。

 完全にではないにしても、それでずいぶん、息をするのが楽になったところがある。
 癒し癒しと気軽にふだんいっているけれど、本来の意味での癒しというのはこういうものなんだな、と思います。

 過去にあったこと自体は変わらないしなくなることもないけれども、それが自分にとってどんな意味があるのか。その意味が変わると、大袈裟じゃなくてほんとに世界が変わって見える。
 罪や呪いが、天からの祝福に変わったら、そりゃもう、まさに「雲泥の差」で、天地がひっくりかえるくらいの経験になりますね。

 ほんの少しも口に出せないほどつらいはずのことが、意味を変え、姿を変える。
 過去の傷は、そのときに、本格的に癒されるんでしょう。
 傷跡は残っているにしても、もはや痛みはなくなり——その過去が、懐かしい景色にさえ変わることもある。

 そういうことをいくつか経験したので、それであんまり——後悔しているようなことはないな、とお気楽なふうに思えるのかもしれません。

 お気楽に構えている場合じゃない、という「可能性」も考えにいれつつ。

 それでも、悔やんでいることは、あんまりないな——、と、ぼんやり思っているところです。
 
 
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