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怨念主義

 とある自動車メーカーさんのCMが、男尊女卑だの何だのとまた妙な言いがかりをくらっている、というのは、ネットで横目に見ておりました。
 メーカーさんには、「そういうものではないです」というくらいにとどめ、そのCMの自粛だの何だのはなさらないように願いたい。

 この世には聞いておくべきクレームと相手にしてはならない世迷いごとがある、ということを、そろそろはっきりさせたほうがいいと思うので。

 その話題のCMですが、私もテレビで見かけていたけれども、べつになんとも思わなかったなー。
 むしろ、私が子供の頃には女性ドライバーというのは特異な存在で、これはいまでもあるけれども、女性の運転は怖い、とかね。不当ないわれようをしていた記憶がありますから——むしろ、女性が旦那さんを迎えにいくのが当たり前の光景になったんだなーという感慨があるくらいですよ。(^^;)

 むかーしは、パワーステアリングというものがなくて、ハンドルの取り回しがそりゃもう大変だったので(教習所で触らせてもらったことがあるけど、重ステの名に恥じぬ?重さでした/笑)、女性の力ではなかなかシンドイという事情がたしかにありました。そのせいもあったとは思いますが。
 いまは、パワステじゃないなんてほうが驚愕されるでしょう。

 ともあれ、思ったことは、そのへんのことよりも。
 フェミニズムもいーかげん、その「怨念主義」やめればいいのになー。ということ。

 なにごとであれ、「反〜」という概念は、従来ある価値観や概念に「反対する」というもの。
 つまるところ、反〜というのは、反ではない従前の価値観に根ざした存在なんですよね。

 写真のポジとネガのような関係なので、そこにある絵は同じ。
 
 反〜という概念が無駄だとはいいませんが、反〜は、正〜の価値観が変わったときにはその役割を終えるもの、ということは、あらかじめ了解していたほうがいいように思います。

 反〜は、概念という意味においてはぜんぜん「新しい」ものではないのです。
 古い価値観を裏返しにしただけのものだから、「同じ」なんです。

 正電荷と負電荷が同数で存在すれば電荷はゼロ——中性となりますが、そんなイメージで、たぶん、反対の値をぶつけることで、従来の価値観の意味づけを変える。そういう役割はあると思いますが。

 中性になったら、それでいいんじゃないでしょうか。

 いちど中性になったのに、そこで異なる電荷のものがさらに頑張ると、また帯電してしまいます。

 私が気になるのは、世にある「反〜」の人々は、自分が「正義」だと信じすぎなんじゃないかということ。
 電荷の違いがあるだけで同じ素粒子同士だということをなぜそうも気持ち良く無視するんだろうか、と。

 フェミニズムもまた、従来の「伝統主義」に対する「反対」ですよね。
 その伝統主義が少しずつ「中性化」したのなら、フェミの「役割」も、なくなるか、薄らぐかするほうがいい。帯電はしないほうがいいでしょう。

 ………と思ったら、最近では「反フェミニズム」というのもあるんだそうで(笑)
 もー。ほんっとに人間てのは救いようがないなー。(^^;)

 この際フェミでもアンチフェミでもなんでもいいけどさ。

 反〜は恒久的な価値観ではないこと、ぜんっぜん新しいものではないこと、あとはなによりも、「怨念主義」は、正でも反でも捨てるがよろしい、と思いますね。

 怨念はろくなことをしません。ものを見る目をゆがめ、自分の精神を傷つけ、見るべきものを見損なって本来目指したはずの道を逸れていく。

 真実、自由でありたいと思うなら、「反〜」の限界を見極めることと、なによりも怨念を捨てることですね。

 怨念、怒り、恨み、というのの発生源は、不安と恐怖ですが。
 人を本当に自由にしてくれるのは、愛というもの。

 人間ですから怒りにも恨みにも囚われてしまうことはありますが。
 ただ、そんなものにかじりついたって、なんの進化も進歩もないということだけは、承知しておくべきものと思います。

 私は個人的にはあのCM、いいと思いましたけどねえ。(^^;)
 ご家族が見ても、パパ、かっこよかったんでしょ? いいじゃないですか。ねえ。

 反対ご意見を眺めていて思ったのは、「これはご本人の『投影』なんでは?」
 ここを突っ込むとまた怒られそうなのでいいません;;
 ただ、自分の不平不満を他人に投影して文句垂れるのは、ちょっとひとさまにご迷惑なんじゃないかなあ。と。
 それだけ。
(……充分言ってるだろ;;)
 
 
 
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