うるわしの諸行無常
2015年11月22日 (日) | 編集 |
 諸行無常、という言葉がありますが。
 平家物語冒頭の一節でも有名で、いわば仏教思想の基本の一つでもありますね。

 とはいえ、この諸行無常。どうも世の中では悲観的な意味に偏りすぎてないか? とふと気になりまして。

 無常というのは字のとおりで、「常であるもの(=変化しないもの、変わらないもの)は無い」ということ。
 諸行は、この世のいろんなもの、という——物体であれ人の心のようなものであれ、この世のいっさいのものをひっくるめている大雑把な表現ですね。

 この世の一切のものは(目に見えるものでも見えないものでも)、「変わらない」ということはない。

 と、いわば事実を淡々と指摘しているだけなのに、世間の理解というのは妙に悲観的。
 誰かがお亡くなりになったり、ものが壊されたり、好きだったものが失われたり、自分の老いを感じたりしたとき、「諸行無常だよなあ」と、——「むなしい」というニュアンスで言われることが圧倒的。

 でも、諸行無常、というのは悲しむべきことじゃないんですよね。

 あらゆるものは変化する、とは。

 逆に言うと、「いま、つらい思いや悲しい思いをしていても、それもいつかは変わるよ」ということでもある。

 つらい状況も、悲しい思いも、「永遠」のものではない、ということ。

 これはむしろ、明るい話題では無いでしょうか。

 もう二度と立ち直れないと思うほどつらいときも、「明けない夜はない」などとしたり顔で言われると思わずぶん殴りたくなるくらい荒んでいる状態も。
 永遠に続く地獄の責め苦——ではないわけです。

 死というものでさえ——それを救いと感じられるかどうかはともかく、病苦というものの「終わり」、変化の形態のひとつ。

 諸行無常は、「万物は流転する」ということですね。
 ヘラクレイトスはそんな悲観論ばかりでは引用されないのに、と思いますと——「諸行無常」の扱いはちょっとばかり、不当なんではないでしょうか? (^^;)

 どうでもいいっちゃどうでもいいことなんですが、以前からうっすら考えていたことを思い出したのでちょこっと書いてみました。

 ヘラクレイトスは、「流転する」自然にたいして、変化しないもの、「ロゴス」という概念を打ち出していますね。
 これはこれで面白い。ロゴスは単なる理論や弁証ではなく、ときに「真理」のようなものをも指すようです。
 そのへんは仏教とは違うのかな。

「いいこと」はすぐに消えてしまうように感じるけれど、「悪いこと」は永遠につづくように思える。
 でもじっさいは「諸行無常」なので、悪いこともちゃんと変化していく。続くものではない。

 そのへんをご理解いただけると、諸行無常が悲観論でばかり使われることも減ってくるのでは、と期待しているのですが。(^^;)

 ものごとはいつも、それ自体はニュートラル。
 いいか悪いかは「都合」でしかない。

 頭ではわかっちゃいますが、なかなか自分の実感として獲得できないあたりが、凡夫(ぼんぷ)なんですよねえ。(^^;)
 
 
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