仮面の下
2015年11月04日 (水) | 編集 |
 無事に年末のお出かけ、決定いたしました。12月29日!
 ここんとこ年賀状を犠牲にして出かけていたので、今年こそは、年内の用事はすべて済ませて心置きなく聖地へ赴きたい。
 毎年私より忙しいはずのNちゃんはきっちり仕上げてくるんですよね……忙しいはいいわけにならない。(ー ー;)
 がんばろ。

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 世間様は、ハロウィンが終わったら(もとより日本人には万聖節は関係ない)、一気にクリスマスになりまして——あの緑と赤が一気に席捲してまいりましたよ。
 なんかもう、すごいねえという以外の言葉がないんですが。(^^;)
 まあいいや、お金が動いて人が楽しめるなら。

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 どうもうまく話としてまとまらない(…いつも以上に;;)ので、箇条書きにちかいくらいにポンポンと申しますが。

 ほとんどの場合、怒りというのは別の感情の「仮面」であるように思います。

 怒りっぽくてやだな、と思う人がもしいたら、ちょっと観察してみてください。
 その、怒りっぽくなっている奥になにがあるか、わりとすぐにわかると思います。

 なにかあるとすぐに怒る人ってようするに神経過敏ですよね。
 ちょっとしたことに、飛び上がらんばかりにびっくりして、ドキドキしているのがわかるはずです。

 一言で言うなら臆病、ということになりますね。

 極端な話、後ろから人に肩を叩かれただけで怒り出す人の、怒り出すそのほんの一瞬前をよく見て、あるいは思い出してみればわかるように、びくっと飛び上がっているはずです。
 
 とくに動揺もしないタイプの人なら、肩を叩かれて、はい? と振り返るだけなのに。

 怒る、というのは、たいていは防御姿勢です。
 怖いことや、不安なこと、誰かや何かに「なにかされる」「傷つけられる」ことを、——それがまだじっさいそのとおりにはなっていなくても警戒して、肩をいからせ、目尻を吊り上げ、相手を睨んで威嚇する。

 気に入らないことに直面するのは仕方のないことですが、そのときに、不必要にぎゃーぎゃー「怒る」のも、同じく威嚇ですね。それ以上気に入らないことが近づいてこないように、と。

 喜怒哀楽といいますが、怒りはじつは、ほとんどは他の感情の「マスク」だな、と思います。

 隠された感情のたいていは、——そういう、不安や恐怖感以外では圧倒的に「悲しい」という感情である場合が多いように思います。

 望んだものが手に入らない、手の中にあったものが失われていく、自分だけが取り残されていく———本当は、なにかを失ったり傷ついたときに感じている感情は、怒りではなくて悲しみなんですよね。

 でもそれを、なぜか怒りという仮面で隠してしまう。

 目下のところ、私が、なんでかなあと考えているのはここんところです。

 怒りの「正体」の多くが、悲しい、という気持ちであることはわかってきた。
 でも、ならばなぜ、悲しみを悲しみのままにしないで、怒りという仮面をつけてしまうのか。
 この仮面をつけるがために、本人でさえ、自分の胸のうちにあふれている「もの」が悲しみだとは気づかずにいる——となると、怒りのマスクのままでいいんじゃないですかとは、言ってもいられない。

 怒りは、なだめようとしても消そうとしても、そのとおりにはできないことがほとんどです。

 本当にその怒りをきれいにするためには、どうしても、その怒りの下にある悲しいという思いを認めてあげる必要がある。

 率直に悲しいというよりもまえに。
 怒り、という「表現」を「選んで」しまうのはなぜなんだろう、と。

 ただいまは、そんな(しょーもない)ことを、ほけほけ考えております。
 
 
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