あなたが私を嬉しくする
2015年11月01日 (日) | 編集 |
 もう11月。早いなーとカレンダーをしみじみ眺めてしまいます。(^^;)
 今朝はまたいちだんの冷え込みで……コタツ出そうかなと思うくらい;;

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 あの仮装はそういえば、恐ろしい姿を装って魔を退けるという意味があるんでしたねえ。
 すみません、そういう方向ではあんまり怖がらないほうなので、けっこう怖いはずの仮装を見ても「凝ってますねー」で終わらせてました;;

 ちなみに、ゾンビとかは苦手です。怖いからではなくて気持ち悪いから!!
 気持ち悪いと怖いは違うよ、とは、たとえばハリウッド製のホラー映画についてよく言ってしまうことですね。

 腐乱死体が歩いていたら怖いより気持ち悪い。文化の違いだからしょーがないのはわかってますが、どうもあちらの怖い、というのは気持ち悪いというのとすぐに混同する気がする。
 気持ち悪い、は、嫌悪感はあるし近づきたくないのはもちろんだけれど、怖いかどうかと言われたらべつに怖いことはない。
 気持ち悪い! えんがちょ! でございます。
 これは怖いとは違う。

 妖怪ということで昨日も日本の妖怪やらおばけやらの紹介ツイートがあったりしましたが、あらためてみると、可愛いねえ、と思います。

 日本語の「かわいい」は、プリティともキュートとも違う、ゆえに「かわいい」は「かわいい」としか言いようがないのだ、と力説なさる、英語ネイティブの外国の方がいらっしゃいましたが、なるほどそうかもしれません。

 かわいい、というのは、「子供っぽい」という概念とはちょっと分離している。
 ぬっぺらぼうはなんとなく可愛い。「稲生物怪録」の妖怪は、不気味ではあっても「気持ち悪い」ものは(そんなには)ないし、どうかすれば美女が出てくるではありませんか。

 かわいい、という概念はなにを意味しているだろう、と、私もかねてから考えておりましたが。
 本日朝刊、角田光代さんのエッセイを読んで、あ、それだ、と。

 エッセイの内容自体は猫との会話についてなんですが。
 言葉によらない会話についてのお話。
 概念なり気持ち、思いなりが、言葉によって規定されてしまう瞬間についての考察。

 そのなかで、ああ可愛いってそういうことなんじゃないか、と思いましたのは。
 かわいいとは、すなわち——「なにかがそこにある」ことへの「喜び」。

 はじめに言葉ありきというのもたしかなんだけれど、もっともっと豊潤で全方位的で多元的な「なにか」を、かえって言葉はそぎ落として決めつけてしまうという作用もある。
 言葉になるまえの「原型」をたどるなら。
 かわいい、というのは、「なにかがそこにある、ということへの喜び」の感覚。

 嬉しいもの、楽しいもの、そこにあってくれる、そこにいてくれる、存在への喜びの感覚。

 見たときに、わあっと嬉しくなる気持ち——それを「かわいい」という言葉にまとめているんじゃないだろうか。

 だから、この「かわいい」には、子供っぽいという含意はない。
 どうかすると、キモかわいい、などといったりしますよね。
 むくつけき殿方をも、「かわいい♡」と表現する女の子もいる。
 
 女性にかわいいなんていわれると、馬鹿にされたと思うのか、むっとする男性もいるようですが、これは意識の齟齬ってやつですねえ。

 そのかわいいは、小さいもの、たよりないもの、「目下」のものという意味はなくて。
 その存在があってくれて嬉しいという「喜び」の表明——といえば、(少しは)ご理解いただけるのでしょうか。

 かわいい、は、かわいい、でしかないのだ、ということで、無理に外国語に「変換」されることなく、kawaii として輸出されておりますが、それ、正解なんでしょうね。

 子供っぽい等のネガティブな含意はなく、ただ、それが、そこにあってくれることへの「喜び」、とすればなるほど、そりゃキュートでもプリティでもないですわね確かに。

「かわいい」は、その存在自体への喜びの表明。

 死者でも妖怪でもおばけでも、このさい何でもいいですが、そんなわけで、「気持ち悪い」で終わらず、「キモ可愛い」だといいな、と思います。
 とりあえず腐乱死体系ではなければ、おばけも見て「かわいい」ものだと思えますね(笑)
 
 
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