明日を待たぬ夜
2015年10月31日 (土) | 編集 |
 ハロウィンは、その市場規模はバレンタインデーを超えた、と聞いたときは、まあそらそうだろうなと思いました。
 バレンタインデーは参加する人間と、関連商品にある程度の制限がかかるのにくらべ、ハロウィンは、もうなんでもかんでもジャックオランタンのイラストをつければ関連商品になるという、まことに柔軟性があるわけですから。(^^;)

 でもここんとこ、やけにハロウィンに対してキツイことをいう人をお見かけして、「???」と思ってきたんですが。
 なんですか、渋谷の例のあたりではずいぶんな迷惑行為になっちゃているそうで。(^^;)

 まあ、ああいうのはなあ……モノはなんでもいいわけでしょ。サッカーのときも花火のときもああいう騒ぎをやっているのをみればわかるように、ハロウィンだからどうこうじゃないんですよね。
 ああいう騒ぎの「原因」を求めるなら、それはハロウィンじゃなくてほかのことにある。
 話題をまぜてしまうのは感心しませんね。ついやっちゃうことだけど。(^^;)

 ハロウィンは「万聖節イブ(前夜祭)」ということになりますね。万聖節というのはキリスト教の聖人様をお祭するイベントなんだそうで、「諸聖人の祝日」「聖徒の日」などといわれるようです。

 とはいえそこはそれキリスト教。
 もとをただせばキリスト教以前、他宗教のお祭に乗っかっているだけのこと。

 もとただせばケルトのお祭。
 秋の収穫祭の意味もあるし、ここで冬を迎え、あらたな年を迎える——つまり「お正月」の意味もある。
 で、これは季節の変わり目、冬の訪れと無関係ではないのでしょうが、死者の霊が帰ってくる、ともいわれたそうで。

 死者となった先祖が帰ってくるんだってさ、というと、日本人の多くは「つまりお盆か」というところが面白い。
 また新たな年となる意味と、祖霊が戻って来る意味とを考えると、文字通り「盆と正月が一緒にきた」ものになるんですね。そりゃにぎやかなわけですよ(笑)

 クリスマスについても苦々しくみて、あんなもん日本人には関係ないだろうという方もありますが、あれももとをただせば「冬至祭」ですから。もとから太陽信仰のある日本人にはむしろ、おおいに関係があるといえるわけです。

 現行のハロウィンについては、いかに起源がケルトにあろうと関係ない、キリスト教から「輸入」してきたものということになるのは事実。
 基本的にはハロウィン、この前夜祭は子供達のためのイベント、と私は認識しておりまして、ゆえに、まあそう目くじらをたてるものではないと思っております。

 渋谷で騒いで迷惑行為に及んでいる諸君については——微妙なところですね。(^^;)
 法律上は子供ではないけれど、中身は……という。
 迷惑をかけず、適度なところで楽しめばお祭なんですから誰にでも楽しくできるのにね。
 そういう知恵がないところは、子供というより餓鬼なんでしょうね。文字通り。

 毎年書いている気がしますが、私にとってのハロウィンは、ブラッドベリに始まりブラッドベリに終わるもの。
 永遠を生きるようでいて、それは明るい太陽のもとに現れることはけっしてなく、ただ淡く薄暗い黄昏を、永遠に「ひきのばしている」ようなあの「一族」——不老不死の永遠が、なぜかちっともうらやましくない、あの万聖節の前夜の、お祭り騒ぎと太陽を欠いた暗さ。

 死者が人に立ち混じるのではなく、人が、仮装をして死者の群れに入っていく。

 10歳のとき、魔術師に「永遠に生きよ」と言われたという作家が、残していったこの永遠の10月——明ければ11月になるのを、拒否するような永遠の薄暗い夜——。
 私はその夜を愛する。今日はそっとその作品を読み返す日。
 作家が残した、この薄暗い永遠にハロウィンという名前を付けて愛しむのは、渋谷あたりの馬鹿騒ぎとは無関係のこと。

 まあ、あんまり目くじらをたてないでほしいな、というのと、怒られるからもうちょっと「うまく」騒いで欲しいな、と。
 そう思います。

        ●

 
「ティモシー」ママが呼んだ。
 ……………
 彼女は彼の頬にキスをした。
「……もしもおまえが死んだら、おまえの骨には、だれも手をつけさせない。そのようにしてあげるよ。おまえは永久に、安らかな眠りをつづけることができるんだ。万聖節の宵祭に、わたしはきっとやってきて、おまえが安らかに眠れるように、気をつけてあげるつもりなのさ」
 家の中はしずかだった。遠く、丘の上を、風がわたっていく。最後の荷に、黒いコウモリを運ぶこだまを伝えて……
 


 ——レイ・ブラッドベリ 「集会」 宇野 利泰・訳
  
 
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