「感覚」が覚えてる
2015年10月29日 (木) | 編集 |
 月末はたいてい、ちょっとゆっくりのんびりできるんですが、今月はなんだか落ち着かない……。
 
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 あんまりこういうことはいうべきでもないんだろう、とは思うんですが、どうにももやもやしているので。
(ホントに、嫌な話はブログで、というのが徹底されてきているような。(^^;))

 私もうっすら記憶していた事件。
 当時小学校6年生の女の子が「入浴中に」火災に遭い死亡したのは事故ではなく、その子の母親と内縁の夫なる人物による、保険金目当ての殺人だったという件。
 なにしろ記憶力薄弱なもんですから、うっすら、そういえば、そういう事件もあったような、と思ってました。

 犯人二人、再審請求が認められて釈放と聞いたとき驚いたのは、「無期懲役」でありながら、20年のここまで、いまだ釈放がない、ということ。

 日本の刑罰の詐欺だと私は思っているのですが、無期懲役って終身刑ではないんですよね。
 刑期が未定、というだけのこと。
 ほかに余罪もなく、刑務所でもおとなしくしていると、10年もすれば釈放されてしまうのが通常です。

 死刑反対の方々に言いたいのは、死刑をなくすならなくすでいいから、きちんと終身刑の設置を、同時に進めてもらいたいということ。

 とまあそういう無期懲役刑でありながら20年も釈放されないでいたというのは、当然、裁判所でもその犯人の悪質性、反社会性を認めているということになります。
 なんの原理っていうんでしたっけ? 日本ではひとつの裁判(立件?)につきひとつの罪しか取り上げないんですよね。複数の罪がある場合、どれかひとつ、いちばん重いもの「だけ」について、その責を問う。

 無期懲役という「甘い」判決でありながら、20年もとどめ置かれたということは、裁判沙汰にこそならなかったけれども、余罪とみなされるものでたいへん重大なものがあったはずだ、と思いました。

 なんとなくこのモヤモヤした感じ、私もうっすらとでもこの事件のことは聞き覚えがある。——なんだっただろう、と思っていたんですが——こちらのツイート。



 ソースとなるものも示されているので、詳細ひらいてご覧いただくとして。
(あまりにも気分が悪い話なので、きっちり話すことができない;; 軟弱者ですみません;;)

 支援者という人たちはこの事実を知っているのだろうか。とつよく疑問に思いました。
 知っていて、そのうえでのことなら——まあべつに、いうことはなにもない。そういう人たちなのね、と思うだけです。

 なるほどこれは悪質だわ。裁判所が釈放を認めなかったわけだ。
 これで重大な性犯罪者が社会へ出てきてしまったわけですが、それでまた犯罪が起きた場合だれがどのように責任を取ってくれるというのだろう。
 最近、裁判所の判断もだんだん狂ってきているように、私の目には見えます。なにかに汚染されているような。

 それにしても。
 事件の詳細を忘れていても、あの異様な、胸が悪くなるあの感覚はしみついていたんだな、というあたり、自分自身に興味深いものを覚えました。

 記憶はなくても、おぞけをふるうような嫌悪感は、その事件の概要を——マスコミは故意に、この犯人たちについての情報を伏せているようにみえるんですが、気のせいですかね?——聞いただけで呼び覚まされ、警告を放つように、ざわっと背筋を這っていったのだ、と思いますと。

 ちゃんと記憶があればなおいいんですが、でも、こういうことがあるから、自分の「感覚」は、自分では無視しないようにしよう、とあらためて思ったんでした。
 もとから直感勝負で生きてますから、「感覚」は大事にしているのですが、今回のことでああやっぱり——と思いました。
 記憶力が悪いところを、本能的なところでカバーしようとしているようです;;

 なんにしましても。
 この事件の女の子が、やはり不憫でなりません。

 親がないことを不幸というのが一般的な社会通念でしょうが。
 いないほうがマシな親というのもけっこういるもんですよこの世には。
 
  
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