それぞれの連想
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 昨日Twitterで拾ってきた画像。

言わなきゃわからないようなやつは、言われたってわからない
 とは、とある漫画で、もちろん冗談として描かれていたセリフ。笑いつつも、でも、至言だと想いましたね。

 中学、高校のころの息苦しさというのは、今思い出してもうんざりで、もう二度とあんなところには行きたくないなと思うくらいですが——あのころ痛感したことは、
「ものがわかんないやつがいるから規制が増える」
 ということでした。

 自分で言うのもなんですが私は品行方正のほうで、おとなーしくしてましたが、一部はねっかえりのせいで、わけのわかんないルールが課せられたことが度々ありました。
 私はなにもしていない。ものを見て判断するのはそう鈍くはないほうだったようで、テキトウにふらふら歩いていても案外、オトナどもの課してくる規制には触らないタイプでした。

 が、そういう人間にも問答無用でわけのわかんないルールが課せられる。なぜか。
 一部の跳ねっ返りどもが馬鹿をやらかして、親や先生がたが右往左往するくらいなら構わないが(……構うか;;)、警察沙汰にまでなる、あるいはその寸前までいくことがあったから。
 一部の馬鹿のせいでこっちにまで余計な規制がくるのか、という、この世の不条理が身にしみました。

 ただでさえ、他人からああだこうだと言われるのが大キライなので(だから、ああだこうだ言われないよう、スキは見せないようにするわけですね)、これはもう、本当に我慢できないくらい腹が立ちました。
 
 たぶんあの感覚は、まだ生きてます。

 だいたい、そういう跳ねっ返りは、それがなぜ「適切ではない」行為なのかがわからない。「言われてもわからない」。
 たぶん、ものの考え方や価値観というところで絶対の断絶がある。
 これはいいとか悪いとか、倫理道徳の話ではなくて、「他人と共有している空間で、円滑にものごとをすすめる」という概念のあるなしの話なんでしょう。
 
 概念を持つか持たないかは、じつは本人の意思があっても難しかったりしますから、わからないやつにはわからない、というのは、お互いにどうしようもないこと。

 ……だとは、ようやくこの年になってあきらめがついてきたところです。(^^;)
 悟るまでに30年かかったか(笑)

 ただ、この画像の文面から見ますと、
「これを書いたかたは、説明すべきことを説明もせず、自分の感情だけでいきなり怒り出す人を相手にして、苦労してるんだろうな」
 ということが察せられますね。

 説明してもわかってもらえないのは虚しいけど、いうべきことも言わずに、ただ自分一人だけが勝手に承知していて、他人と「情報共有」しないまま、自分の思い込みだけで他人が動くものだと期待されるのも、これはもう、本当に迷惑なもんですよね。
 それはお察しいたします;; 
 そういう手合いが自分の親や上司だと、ほんっっっとに! 苦労する;; ワカル;;

 情報共有というのはじっさい、本当に大事なことですね。
 チームになると、それぞれの役割はたしかに決まってはいるんですが、それでも、全体像の中で自分の分担部分をわかっているというのは大事なこと。

 必要か必要でないかはとにかくおいといて、チーム全体の、あるいはメンバーそれぞれの状況は、可能な限り共有することを心がけております。
 それは私とは関係ない、と言いかける人には、「関係なくてもいいから、聞くだけ聞いといて」といっております。
 関係あるかないかは、聞かないとわかんないじゃん。(^^;)

 べつに関係ないなと思って聞いた話が、あとで、あ、あれか、と「つながり」がわかることもある。そうすると、自分の役割の意味や必要性もそこでわかったりするわけで。
 なんで私がそんなことをしなきゃならないんですか、という不平不満は、ここがわかると(ある程度は)抑えられる。

 こういうときはたしかに「言わないと分からない」。言わないでおいてわかれというのは無茶な話。
 それはもちろんのことですね。

 同じ言葉を聞いて、どんな状況を思わず思い浮かべてしまうのか。それによって、反応も違ってくるんだなと思いました。(^^;)

 社会人の場合は、「きちんと説明しないのに勝手に怒る上司」などを連想する人が多いと思われるなか、いまだに、むかしの苦い思いを真っ先に連想する私も、いーかげんしつこいタチなんでしょうね。(^^;)

 
 
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