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からっぽのバケツ



 言葉が悪くて恐縮ですが、「バカと基地外は声がデカイ」というのが私の持論でございます。
(基地外、という表記は、御大、筒井康隆©)

 声がデカイというのは、じっさいそういうことも多いですが、メタファーです。いちおう。

 自分が不利になると話し合おうといってくるヤツがいう「話し合う」とは、自分の要求や主張を相手に押し付けるための方便のことであって、じっさいは人の話なんか聞きゃしない。
 わざと大声を張り上げて人を威嚇したり、大声で喚くことで相手の話をさえぎる。
(じっさい大声でギャーギャーいうヤツに、そんなに怒鳴らなくたって聞こえますよと言ったことあり。ほんっとに物理的にウルサイ

 文字通り、「お話にならない」んですよね。

 とはいえ、「バカと基地外は声がデカイ」といってしまってはさすがに露骨すぎて、表現としてはよろしくない。
 芸がないというか能がないというか。(^^;)
 そのへん、自覚があるのであまり言わないようにはしているのですが、——でも、このバケツのたとえ話は、確かに! と思わず膝を打ちました。
 わかりやすいしイメージしやすいし的確だし。
 これちょっと覚えとこ。——と思いまして、ここでちょこっと。ご紹介までに。
 
 あと、震災以後にこれに加えて思うようになったのは「空(から)のバケツは仲間を欲しがる」こと。

 仲間を欲しがるというよりも、他人を巻き込みたがる——成(な)ろうことなら「抱き込みたがる」。
 あれはいったい、どういう心理なのか、まだちょっと測りかねているところがあります。
 
 空のバケツは、寂しかったり不安だったり怖かったりするんだろうな、とは、ぼんやり思うこと。
「放射脳」のいいぐさでいちばん気に入らなかったのは、人に同意を求め、あるいは強要し、それに乗らないとものすごい勢いで「恨み」を募らせること。

 なんだあれは、と最初は憤り、ついで気持ちが悪くなり、最近では、あれはちょっとかわいそうなのかもしれないと思うようになっていますが。
 なんにしろ、いちいち他人を巻き込んで、いわば、自分と同じような人間が大勢いると確かめることで安心しようとするのは、たいへんに迷惑なのでやめてもらいたい。

 中身が入っていないバケツは、何個か重ねて置いておける。
 空のバケツは、無意識のうちに、同じような空のバケツ同士で重なって、少しでも重さを、中身を、得ようとするのでしょうか。

 べつに自分が、水を張ったバケツだなんて思っちゃおりませんが、少なくとも他のバケツと折り重なる趣味はないもんですから。
 お仲間をむやみに求めたがるのもどうかと思いますが、私のようにむやみに他人とつるむのを嫌がるというのも、バランスの良いことではありませんよね。(^^;)

 ……などと、ちょっと実験を兼ねて書いてみて。
 
 バケツの喩え。
 やっぱりわかりやすくて、いいな。

 ツイート主さまのいう「おじいちゃん」は、主さまのお祖父さまでいらっしゃるのか、それとも、一般的な、ご老人のことかはちょっと判断できませんが、——わかりやすい、いい喩えをおっしゃる。
 そんなあたりに敬意を表しつつ、(-人-) 本日はこれにて。
 
  
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