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帰りなむいざ 田園、まさに蕪れなんとす

 だーからさー、シナはやめてくんないかなあ(泣)

ファミマ 日系会社に取引先変更を検討
7月24日 3時30分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140724/k10013244761000.html
 
 日系であろうがなかろうが、場所がシナ、工員がシナ人ということで、もう勘弁してくださいとしか、いいようがない。
 私もかつて、シナ人の文化程度がアレなのは、文化大革命で知識層を殺しまくったからだ、という話を真に受けていましたが、それは違うな、と思うようになりました。

 とにかく日本とは違うのだ、ということだけは言える。
 服の製造だって、はやくシナをやめてくれと思ってますよ私は。

 シナの場合、とにかく現場の人間のレベルがあまりにもあんまりなのだと断じるより仕方がありません。
 洋服の縫製だって信じられないほどひどいものがある。
 販売会社は検品をしっかりやっていますというが、それだっておそらくはサンプリング方式ではないのか。サンプリング方式ではないにしても、スカートのすその始末がどうなっているかなんて見たことないでしょ。全品を、だよ。
 
 シナ製のシャツは洗濯1回で穴があく。袖と身頃を縫い合わせたところが離れる。すそのミシンがけ、糸が、団子状になって残っている。

 サイズは違う。Mサイズで買ったはずなのにひどく大きい(痩せてませんよ)。Sサイズにしたら馬鹿みたいに小さい。実測すると、きちんとしたサイズになっていない。
 なにをどうすりゃこんなデタラメなものができるんだよ、と、しまいにはかえって感心する。

 検品はするでしょうけど、すべての社員に見張り役をつけているわけじゃないでしょう。
 シナ製のものは、私はいっさい信用できない。
 
 いま、いちばん頭にくるのは、こういうひどい商品が「安かろう悪かろう」ならまだいいが、それなりに名前の通ったメーカーさんの、それなりのお値段を支払った商品でも、こういうことがある、という点です。
 正直言って——ふざけんな。と思ってます。

 洋服のサイズを、ぜんぜん信用できなくなってどれほどになるでしょうか。
 徐々にベトナム製、というものも出てきてはいますが……。まだまだ。(--;)

 それでも洋服なら、「ひでえ縫製…」と呆れて済むともいえるけれど、食べるものとなると論外。
 どのみち外食なんてのはもう、毒が入ってないならまあいいか、と思うくらいのモンだ、というのは承知していますが。

 それにしてもひどすぎる。

 シナにものを売りにいくのはいい。
 物好きだと思うけど、いちおうはそれくらいで済む。
 でも、シナで物を作るのは、本当に、どうかどうか、もうやめてください。命に関わります。

 ということで。
 私はハンバーガー屋さんにも、最低でも10年は足を踏み入れていないし、コンビニで唐揚げとか、ああいうものは買ったことはないんだけれど、さすがに、げっそりしてます。
 先ほども、お使いへ出たついでにコンビニへ寄ったんですが——あの唐揚げとかコロッケとかの陳列ケースを見ただけで、げっと思ってしまいました。
 これはパブロフの犬と同じなので、お店の方には申し訳ないことですが。(--;)

 イメージって、やっぱりありますよねえ。

        ●

 昨日の話題で「人間の育成を待つ」と申しましたが。

 じっさい、待つ、というのは、大事なことですね。

 人が育つ。成長する。それにはやはり、時間がかかるし手間もかかる。

 それでも、信じて、じっと待つ。

 待つ、ということは、それも「愛」なんだなあと思います。

 私が、「見たまんまの“評価”しかできないサッカーメディア、サッカーファン」を、蛇蝎のごとく嫌うのはたぶん、彼らのああいう態度には、愛なんてもんがカケラもないからでしょうね。
 愛もないくせにファンだなんて言いやがんの。

 ただ、私もときどき考えているんですけども。
 世の中には、愛に似て、でも、ぜんっぜん違う、というものがありますよね。

 ストーカーがその代表格でしょうが、私が嫌うああいう「自称ファン」も、そうですね。
 そんなものは愛でも愛好でもなんでもない、ただのエゴだよ、というもの。

 愛に似て非なる——というより、愛とは似ても似つかないもの。

 でも、本人たちはそれを愛だと信じている。
 ゆえに、あんたのは愛情じゃない、ただのエゴだ依存だ甘えだと指摘すると、ぜったい認めないし、ものすごい勢いで「恨んで」くる。

 なんでだろうか、と、これは昔から、折りにふれて考えているもののひとつです。

 人は、愛ではないものを愛と思い込む。

 本人はそれを愛と信じているし信じて「いたい」から、そうではない、という他人の指摘を受け入れないし、逆恨みする。

 どうしてだろうか、——と、また、ちょっとここで考えておりました。

 今日にはつぼみの気配すらないものを、それでも大事に思って、水も肥料も日照も管理して、ただ、じっと見守る、待つ、ということ。

 これがどれほどありがたい、大事な「愛」であるか。
 ——最近、年のせいなんでございましょうか、しみじみと感じることがあって、ひとりでしんみりしていることがあります。(^^;)

 年をとるって、いいですよ。

 以前にはわからなかったことが、わかるようになりますからね。いろいろ。

 私も、これまでいろんな人に待っていてもらったんだな、ということがわかってくると、なんだかこう、……じわーんときますね。

 年をとると涙もろくなるといいますが、それはようは、「昔にはわからなかった人の愛情や恩や、感情の揺れがわかるようになるから」だと思ってます。

 
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