・ニューヨークで、ついに「女性のおっぱい露出」が解禁に
ガジェット通信 2013年05月23日02時10分
数日、伊勢参りで浮かれておりましたが、その間、このニュースはちと気になっておりました(笑)
おっぱい露出すなわち「トップレス」ですね。
男性は上半身裸でもOKなのに、女性は逮捕されるのはおかしい、ということだそうで。
………まあ基本、男性といえども、無闇に上半身裸になれるわけでもないと思いますが……。
あいかわらず、面白いことをいうなあ。
ところで、アチラの女性はなにかあるとトップレスで抗議、てなことをしますが、あれはどうしてなんでしょうか。
いつぞやは、イタリアのベルルスコーニ元首相に、なんの抗議だったか忘れましたが(………)、とにかくいきなりトップレスの女性が同氏につかみかかって抗議ということがありました。
もちろんすぐにSPであろう人々に取り押さえられていましたが、取り押さえにくそうで、ちょっと気の毒でしたね。
あれを見たとき、
「若いオネーチャンが大好きな男に、抗議をするのに脱いでどうする(喜ばれるだけじゃん)」
と思ったものでございます。
ございますが——なんでいちいち脱ぐのかなあ、と不思議にも思っています。
まあ、アチラの女性は体格もよくて骨格そのものが立派で、豊かな乳房をお持ちの方が多いので、是非、ひとさまにもお見せしたい、という気持ちがあるのかもしれませんが。
上半身裸の男はいいのになんで女がいかんのか。
——そりゃあ、おっぱいがセックスシンボルである以上は、しょうがないでしょうね。
おっぱいがとくにセックスシンボルとは見なされない地域、民族では、ごくあたりまえに女性が半裸状態で生活しているわけですから、ようは、「その社会において、どういう意味付けがあるか」ということなんで。
酒見賢一さんの「後宮小説」に、女性が、誰かに裸を見られてハッとしたとき、とっさにどこを隠すかという話が出てきますが。
そういえば、そういうとき、とっさに股間を隠すのは東洋、胸を隠すのが西洋、という説を聞いたことがあったなあ、と思い出しました。
日本もかつては、そんなにおっぱいにはこだわらない民族だったんですよね。
江戸時代のポルノグラフィティ、春画を見ますと、性器にはもう、執念を感じるほどにこだわった描写があるのですが、胸についてはあんまりこだわってません。というか、服を着たまま「ちんちんかもかも」であることがほとんど。
明治期の風刺画家、ビゴーの絵にもありますね。——夜通し走ってきた列車が朝、駅に着く。乗客たちは手洗い場に集まって、水を汲み、手ぬぐいをしぼって体を拭いてさっぱりするのですが、そのときの絵では、女性も堂々ともろ肌脱ぎ、つまりはトップレス。でも、誰も気にしない。
私がごく子どものころは、けっこう、町でも、お母さんたちは赤ちゃんがぐずると、おっぱいを出してふくませているということがありました。
いまはなんだか窮屈なことを言い出して、そういうことができなくなりましたが。
ようは、トップレスがアリか無しかは、その社会の中でどういう概念があるかという問題なんで、女性のトップレスは、本来的には、べつにタブー視されるべきものではない、とは思います。
思いますが——社会通念てやつを変えていくのは、時間も手間もお金もかかる、とも、思っております。
まあ、脱ぎたい人がいるなら脱いでもらってもいいんじゃないかと思いますけどね。
目的もなしに脱いでいるわけじゃなし、授乳くらいはいいじゃんよ、と、個人的には思っております。
とっさのときに何処を隠すか、ということなんですが、——本来、女性のトップレスに性的な意味をほとんど持たなかった日本ですが、現在ではだいぶ、西洋の概念も浸透しております。
ということで——温泉にいったとき、脱衣所で、ちょうどぜんぶ脱いだところで、からりと脱衣所の戸があいたとき(他の女性客が来ただけなんですが)、私の隣にいたお嬢さんが、——片手で両胸を覆い、内股にきゅっと足を強く合わせて股間を隠すように片手を置いたのをみて、「なるほど」と思ったんでした。
東西の文化がごっちゃになった結果、当代の日本女性はとっさのときには、胸も股間も隠すのですね。
なるほど面白い。
なんだか変な話になりましたが。
やっぱりいちばん気になるのは「なんでそんなに脱ぎたがるのか」ということだったりします。(^^;)
酔っぱらうと脱いじゃう人もいますが——あれは——心理学的にはどういう解釈が成り立つんでしょうね?