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我が闘争

 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

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 よくお邪魔しております「誤訳御免」様。
 かの「我が闘争」漫画版がよく売れている、ということについて、海外の反応についてちょっと触れていらっしゃいます。
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http://shirouto.seesaa.net/article/128204447.html

 私自身は未読なんですが、高校生のとき、友人Jちゃんが、ヒトラーの「我が闘争」を読み、「やったことはアレだとしても、この本自体はなかなか面白い」とへーぜんと言っていたのを思い出しました。
 大物……。(^^;)

 うーん、いいんじゃないすか、それも体験だし。
 文化大革命なんてまさにアレだけど、「毛沢東語録」もそれなりに面白いらしいじゃないですか。

 ただ、そういう、読み物として面白い、というレベルのものを、真に受けちゃって「かぶれる」のは、さすがにそりゃちょっと、人として問題があるとは思いますがね。
 私が「共産党宣言」を読んだときの感想がそれ。
「こういうのを読んでマジで気触れるヤツってどーゆー精神構造してんだ?」
 いまだに理解できません。(^^;)
 
(話がそれますが、かぶれる、って、「気触れる」と書くんですね! これはいま初めて知りました! 気が触れる!! 納得している場合じゃないけど納得!)
 
 なんにしても。
 どんなつまらない人間でも、しゃべることを喋らせるとけっこう面白い、ということはある、ってことじゃないでしょうか。
 ネットの掲示板やコメント欄を見ていると逆のケースが多いようですが、あれはやはり、短文だからかな、と思っております。
 ある程度以上の分量を書こうと思ったら、さすがに書くということについての訓練は必要になる。そういう意味でのごまかしは利かないですから、本気で××な人には書けない。
(じっさいは、論旨明快にして簡潔に短い文を書くというのは知能レベルふくめて相当高度なことなんですが……そんなもの、まず滅多にネットでもどこでも見られませんからね)

 掲示板などのコメントは××でも書ける。短文どころか、単に「×××!」って言っているだけ、というのもかなり見受けられますもんね。
 あれには知性も訓練も必要ないわ。(^^;)

 なんにしても、やっぱり善悪二元論の世界の人々はちと頭が固いのかなーと思いました。
 あれとそれとこれは別の話、というのは、そんなに難しいことじゃないだろうと思うんだけどなあ。
 虚構と現実は違うってわかってるよ。という、腐女子のほうがよほど柔軟性があるかもしれませんね。(^^;)

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというのは心理としてひじょーによくわかりますけども、ヒトラーのしたことがアレだから、彼に関するもの一切合切、闇に葬れというのはちょっとなあ、と思います。
 どんな人間でも、骨の髄まで悪党なんてことはあり得ない。人としての側面を見たり、思索をたどったり、ということまでタブーにすることはない。
 
 こういう言い方、たぶん二元論の人々は憎むだろうけれど、最終的にはお互いに人間同士なんだし。
 罪を憎んで人を憎まず。理想論だと言われるでしょうが、でも、こういう境地にたどり着くことが、相手にとっての好都合なのではなく、自分自身の救いになるんで。

 それがどんな人でも、「全否定」はすることないでしょ。と思います。
「我が闘争」を読むことで、同じ轍を踏まないようにという教材にもできるかもしれないんだし。

 人に愛は必要だが、憎悪は必要ではない。
 恨みとか憎しみというのはめぐりめぐって自分で自分を殺すことになっちゃうから、できるだけ捨てていくのがいい。
 それは憎悪の対象であるその人のためじゃない。自分のためです。

 ………人は死んでしまえばホトケになるんだよ、という、「死者に鞭は打たない」日本人の感覚は、なかなか「世界標準」では理解されないことらしいですが。

 理解されなくても、放棄する必要はまったくない、と思います。
 それが救いになるとわかっているのに、どーして自ら捨てる必要があるか。

 そういえばヤフーかどこかのニュースコメント欄で「多数決が民主主義」って書いていた人がいたけど、違うんだよねー。
 少数派であってもその意見を無視しない。尊重はする。かつ、少数派であっても、その意見がまっとうなものなら、時間はかかっても必ず汲み上げる。
 それが本当の民主主義ってもんです。

 それをきちんと実現できているところがなかなかないから、誤解されるのは仕方ないところもありますが。

 少数意見でもまっとうだ、ということを判断するには、判断する側に見識というものが必要なわけで、民主主義というのは、「すべての市民がそういう見識を有している」ことを前提条件とし、その条件を満たしていなければならない。
 だから、そんなに甘いもんじゃない、厳しいなあ民主主義。と、私はよくブツブツ言っているのです。

 そういう見識を持たない人には「市民権」を付与される資格がない。民主主義とは、ひっくり返せばそういうことになるからです。
 共産主義や階級社会の「由らしむべし、知らしむべからず」でじゅーぶん満足しちゃうような人間には、民主主義に参加する「能力」「資格」がない。そう考えると、民主主義は甘くない、と思います。

 このへんを理解してくれるひとは、老若問わず、あまり多くはないようですが……。(^^;)
 権利や自由ってもんが、ただで付与されるなんて単純に信じている人が多いというのは、個人的には残念です。
 
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